判決!契約社員の訴えた正社員との手当の差を巡る裁判について考える
契約社員と正社員の手当などの差を巡る裁判で、日本郵便に支払い命じる判決が出た。
詳しくは下記のページを参照していただければと思う。
日本郵便「正社員との待遇差」訴訟、契約社員への手当支払い命じる…東京地裁正社員と契約社員の待遇が違うのは当たり前だ!と思う方もいらっしゃると思うが、訴えの内容を見るとひどいものだ。
そもそも前提として、労働契約法20条で、正社員と契約社員の待遇差は「不合理と認められるものであってはならない」となっている。
まず契約社員側の主張としては、正社員と同様の業務に携わっているにもかかわらず年末年始勤務手当や早出勤務手当、住居手当などの各種手当は無し。そしてこの辺が一番ひどいのだが、夏季冬季休暇、病気休暇さえ全く無かったという。
私もある会社で数年間、契約社員として働いていた。その時、確かに正社員との業務差はほとんどなかった。むしろ正社員がどんどん辞めて行くものだから、契約社員の私が一番古株で一番業務に詳しいという不思議な現象さえ起こっていた。
私の場合は正社員との待遇差はそこまでなかったので強く不満を持つことは無かったが、結局正社員には最後までなれなかった。
やはり、契約社員、派遣社員も含め総合的に見ると安価で使いやすいのだと思う。
雇う側の気持ちも分からないでは無い。安く、不要になったら簡単に切り捨てられる人材は雇う側にとっては魅力的だ。
だが、そこに果たして自分が雇おうとしている契約社員が1人の人間だという自覚や思いがあるのだろうか?
そんなことをふと考えてしまった。
契約社員にも親がいて、兄弟がいて、妻がいて、子供がいて。彼、彼女が体を壊せば辛い思いをする人がいる。そんな人間であるということを忘れてしまってはいないか? 「夏季冬季休暇、病気休暇さえ全く無い」というフレーズに私はそんなことを考えて少し背筋が寒くなった。
私は、会社自体が「人の繋がり」によって成り立っているものだと思っている。そう考えるとき、誰かが体を壊さなければ成り立たない繋がりなど破綻している。
この裁判のように、雇われる側が少しづつ声を上げることも大切だ。だが、そもそも経営を行う人間が人を人として見ることが1番重要なんじゃないかと、そう考えさせられた出来事だった。