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国語と国民国家
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国語と国民国家

国語と国民国家形成は密接にかかわっていることが知られている。私が現在生活しているケニアでも国家が認定する公用語はスワヒリ語と英語である。スワヒリ語はイスラム文化がアフリカ大陸に流入しながら形成された言語だが、英語に関してはそもそも発生がアフリカにない。全くの異質な存在である。その英語が公用語として使用されている背景は言うまでもなく、アフリカの長期にわたるイギリスの植民地支配にある。そもそも43もの異なる民族が入り混じる地域を、一つの国民国家としてまとめるためには、まずその人々の間で疎通が必須となる。正確に言えば疎通というよりは命令や指示が主なる目的であったかもしれないけれど。

実はそれは日本も同じで、かつては藩と呼ばれる単位によって寄り集まっていた。現在、我々の考える“日本”の中には“日本人”という自覚を持った民は存在しなかったのである。そこには土佐藩を自称する人々がおり、越後藩に属していると信じる民が偶然にして同じ“日本”という後の国民国家の領土上に存在していたにすぎないのである。その証拠に、当時は日本語という言語は存在せず、“熊本弁”があり、“尾張弁”があり、“播州弁”がおそらく古代から使われてきた共通のテキスト(そのテキストもおそらく厳密な意味では完全に同じものではない)を通して言語法則上に一定のコモンセンスを持っただけで、実際には別言語だったともいえるのである。

そんな中で、それまでの言語をある意味で否定して新しい国家の国民としての意識、大きな規模の共同体意識を生み出したのが“国語”であった。この国語に関してはアイヌ語や沖縄方言の駆逐に向かったという負の側面を持ちながらも、それまで各人が持っていたやや過剰なムラ意識を育てる土壌となった幕藩体制を打ちこわし、人々に新しいアイデンティティと新しい共同体意識を持たせたという意味で積極的に評価されてもよいと思う。

現在、国際関係においても様々な局面で自国中心主義が問題の発端であると指摘されるが、その原因が大きなパワーとつながった英語が世界の共通言語としての役割を担っているというところにあるともいえるだろう。生まれたときから世界最大の力を持った国の言語を喋れる者は、当然その言語を操ることができない者よりも一歩も二歩も先を行く。その結果、世界中の弱小国は力に迎合していくのは自らが利益を売るための近道である。

また、使用人口と経済発展の度合いを見比べてみたとき、これまでの世界の中心であったラテン語をルーツに持つ英語、スパニッシュ等に対抗しうる代替言語が、中国文化圏をベースとして発達してきた東アジア圏から表れてくるのは必然ともいえるだろう。