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この生活を愛するためには

最近、釜石市で復興支援を推進する取り組みに携わっている人から話を聞く機会があった。被災地には全国からUターン・Iターンしてきた「ひとかどの人物たち」が集まり、「復興まちづくり」の伴走者として、今も汗をかき続けているという。その人も、深くバラバラに分断された「まち」のはざまで針仕事をするように、人と人、または組織を繋ぎながら、復旧から復興・地方創生へのアシストをしているようだ。

人が豊かに生きていくためには、その生活を愛するためには「まち」が必要なのだと思う。それについて芥川龍之介の小説「大川の水」にはこんな一節がある。

『もし自分に「東京」のにおいを問う人があるならば、自分は大川の水のにおいと答えるのになんの躊躇もしないであろう。ひとりにおいのみではない。大川の水の色、大川の水のひびきは、我が愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるがゆえに、「東京」を愛し、「東京」あるがゆえに、生活を愛するのである』

生活を愛するために必要なもの。誰しもがそんな「大川の水」にあたるものを持っているかは分からないけれども、少なくても私自身はそれを持っていると明言できるし、あきれてしまうほどによく知っている。それは「男はつらいよ」で寅さんが「帝釈天で産湯を使い」と仁義を切るのと同じくらい、私にとって大事なアイデンティティであることも否定できない。

くうねるところにすむところ

吉本隆明の評論「芥川龍之介の死」では、彼を死にいざなったとされる「ぼんやりとした不安」は、大川の水から離れ過ぎてしまったために生じたのだと書かれているように受け取れる。その評論のなかで芥川龍之介のこんな詩が紹介されていた。

汝と住むべくは下町の
水どろは青き溝づたひ
汝が洗場の往き来には
昼もなきつる蚊を聞かん

いかにも下流の人らしい。「あなたと暮らすのなら下町の 昼間から蚊が飛んでるようなドブの近く」そんな生活を愛すると綴りながら、どこかで恥じてもいたのだろうか。いたずらに河清を求めたために、濁った水に棲む河童の不興を買って、気づけば足を引っ張られたのではないかと感じる。

人間は「くうねるところにすむところ」さえ満たされていれば生きていけるほど、単純ではない側面を抱えている。その暮らしを愛するためには「まち」が必要なのである。

ただ被災地から遠くに暮らしていると、その「まち」が被災したことで地域の人たちが今も抱えるあまたの不安について、思いを巡らせることが難しいなと感じる。今回話を聞かせてもらいながら「まちづくり」をアシストするためには、当たり前かもしれないが、その地域の人たちと同じ夢を見られるように、同じ地域で寝食を重ね、汗を流すことがなにより大事なんだなという印象を受けた。

今更ながら、まずは一度足を運んでみることが、自分にとっての「まち」を再確認する上でのキーポイントにもなるような気がしている。

この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>>