人から得る価値観
乳がんで闘病中だった小林麻央さんの訃報が、世間を深い悲しみに包みました。がんの告知から2年8ヶ月…。つらく苦しい、長い長い時間だったことでしょう。
そんな彼女が生前に残したいくつもの言葉は、闘病中の方に限らず、多くの人を勇気付けました。
その中にこんな言葉がありました。
「私は可哀想だと思われたくはない。病気が私の人生を代表する出来事ではないから。愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、いろどり豊かな人生だから。」
世間の声に反して、彼女は強くありました。
また、知り合いからはこんな話を聞きました。
心臓が悪くて手術をしたときのこと。
「2人の子どもがまだ小さい頃で、お姑さんに見てもらって……胸を切ったから、術後は痛くて手を動かすことができなくて、自分のことすらままならなかった。退院しても、家事、育児もまともにできないことが本当に苦しくて……家族みんなに申し訳ない気持ちだったわ。」と。
これは決して大病を患った時だけに言えることではなく、風邪をひいた時や、一時的に調子が悪い時でも、同じように思うのでしょう。
それと同時に、家のことをしてくれる人がいて、本当に有難いと感じるのでしょう。
そして、彼女の話は続きました。
「やっと家のことができるようになったとき、私は、あまりにも遠ざかっていた家事なのに、何も苦に思わなかったの。以前は『面倒だな、なんで私ばかり』と思いながらやっていたけれど、いざ全くできなくなると、愛する家族のためにさせてもらえることがあるって、それをできるって、本当に有難いんだなと感じたのよ。」と。
「それからは、家族の洗濯ができることも、食事を用意することも、健康であるからこそだと思うと嬉しくて。そして、自分を妻にしてくれ、親にしてくれ、嫁にしてくれた家族がいるおかげだなと思うようになった。」と話してくれました。
私は健康でいる今、それが当たり前すぎて……日々のことをすぐ面倒に思い、不満を抱き、言い訳をつけては、あれもこれも「無理!できない!」と投げ出してしまうことがあるように思います。
「やりたくても、できない」という境遇に立たなければ、健康であるが故の日々の堕落や怠慢は、自分ではなかなか気づけないものです。
いつ自分が不自由な身体になるかも分からない。
親がいること、夫がいること、子どもを授かること、みんなが健康でいてくれることだって、当たり前ではありません。
だから今、家事や育児、仕事を任せてもらえることに幸せを感じ、惜しみなくこなしていくことが、もしもの時に大きな糧になるのではないかと考えさせられました。
辛い時が人生の全てではない、その中に十分幸せな時間があるということ。
健康でいる今だからこそ、義務化された日常のあれこれを、喜んでできる自分でありたい!
こういうことを教えてくれる存在は、決して身近にいる人だけではありません。
小林さんのように、こちらが一方的に知っているだけの人かも知れない。
どんな形であれ、意見を受け入れていくように努力をすることで、たくさんの価値観を得られる。
そうすることで、今ある日常を、もっと大切に生きようと思い直させてくれるのではないのかと、強く感じました。
たくさんの生き様をみせてもらった小林麻央さんに感謝するとともに、ご冥福をお祈りいたします。