コミュニティ チーム 家族 コミュニケーション 寄稿記事/取材依頼/お問い合わせ
7つ目のポケットとしてのドラえもん「129.3㎏ 小皇帝のたぐいまれなる友」知音③
家族 2018.02.07

7つ目のポケットとしてのドラえもん「129.3㎏ 小皇帝のたぐいまれなる友」知音③

ドラえもんは中国人にずいぶん愛されているようだ。映画「STAND BY ME ドラえもん」の中国での興行収入は100億円を超えたという。どうしてドラえもんはそれほどまでに中国の人たちに受け入れられるのか。

その理由の一つとして中国の一人っ子政策があると考えられる。この政策は1979年に施行され、ドラえもんは1991年に中国での放送が始まった。この一人っ子世代たちは、のび太くんと一緒に育ってきたわけである。ドラえもんは彼らにとって夢をみさせてくれるヒーローであり、寂しさに寄り添ってくれる兄弟でもあったのだろう。兄弟がいる家庭のほうが多い日本人よりも、より深く入り込める世界観がそこにあるのではないかと思う。

故事成語に「知音」というものがある。その意味するところは「真の理解者」であり、自身のアイデンティティに深く関り、あたかも心の底まで分かっていてくれるような、そんな掛け替えのない存在だ。ドラえもんとのび太君の関係は、まさに知音と言える関係ではないだろうか。

のび太くんに肩が並んで

川上弘美のエッセイに「たぐいまれなる友」というドラえもんについて書かれたものがある。子供のころは分からなかったが、大人になって、のび太くんに共感することが増えたというような内容だった。(以下引用)

元気も減って、若きがゆえの傲慢さも減って、私はのび太くんを嫌わなくなった。どうやっても得られないものやどんなに努めても払えないものが多くあることを知り、のび太くんの嘆きやかなしみがわかるような心もちになったのである。

たぶんのび太くんは、最初からあきらめているわけではないのだ。できないことがあるのを知っているだけなのだ。できないことがあるし、できないからといって駄目であるわけでもないことを、知っているのだ。

駄目なわけじゃないのだけれど、できないことはやっぱり淋しい。できない自分が淋しい。できないようになっているこの世界が淋しい。

淋しくなれば、思わず知らず「ドラえも~ん」とつぶやいてしまうだろう。ドラえもんにたすけを求めているというわけでもない、ただ、「ドラえも~ん」と呼びかけてみたいだけなのだ。体重百二十九・三キログラムのみっしりしたドラえもんに向かって、さみしいよう、と言ってみたいだけなのだ。

7つ目のポケット

子ども一人に対して、両親・両祖父母の合計6人の財布があることを「6つのポケット」というそうだ。このポケットを一人で独占する中国の一人っ子世代たちを「小皇帝」と呼ぶことがある。求めるものを何不自由なく与えられてきた彼らにとって、ドラえもんは「7つ目のポケット」だったのかもしれない。

但し、大人になってからは状況は逆転し、祖父母を合わせて6人の老後を1人で支えなければならない可能性も出てくる。そして2016年にはついに一人っ子政策は廃止されてしまった。政策が生んだ歪みを背負って生きていく特殊な世代となったのび太くんたちは、社会の厳しさと真っ向から対峙しなければならない。ドラえもんのように寄り添ってくれて、真情を吐露できる存在はたぐいまれである。もし出会えたとしても大人になるにつれていつの間にか傍にいてくれなくなる。

映画のなかで、のび太が一人で泣きながら困難に立ち向かうシーンに彼らはなにを想うのだろうか。なんだか泣けてくるという人も少なからずいるだろう。もしかすとる厳しい現実の中でドラえもんに心の中で助けを求める場面もあるのかもしれない。そんな事を考えてみると、この時代、ドラえもんはすでに私たちではなく、彼らの机の引き出しから現れるような気がする。

関連記事:稀代のヒットメーカーが曲作りを手放してまで聞いてほしかった大事な話「知音①」関連記事:それでも南方熊楠に会いに行く「人の交わりにも季節あり」知音②
この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
7つ目のポケットとしてのドラえもん「129.3㎏ 小皇帝のたぐいまれなる友」知音③

この記事が気に入ったら

関連記事