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イーハトーブの精霊送り
家族 家族 2017.08.26

イーハトーブの精霊送り

久しぶりの夏日。夕暮れ時、線路沿いのフェンスに花の気配のないアサガオをみながら、ふとお盆の事が頭をよぎった。今年はこれといって風習に則したことをなにもせずに過ごしてしまった。お盆が祝祭化している地域ではこうはならないのだろうか。たしかに精霊流しを特集した番組を少し前にテレビで見たような気がする。日々の煩雑さにかまけてか、子孫としてご先祖を迎えるという事についてそれこそ喫緊の問題でもないしなと、なおざりな態度が年々刷り込まれてしまっているようだ。不遜な事なのか、それとも世の中的にはこれが普通なのか。それでも祖母だけはおそらく眉をひそめてこちらを見てるんだろうなと感じる。

ユニークな送り火

まだ幼かった頃、私が次男だった事もあってか、弟が病弱で手がかかったからか祖母と過ごす時間が多かった。ある夏の夕方に祖母は家紋入りの提灯に火を灯してご先祖を送りに行くのだという。はじめは理解ができず、祖母の家で過ごす初めての夏だったので、この地域ではみんなそうしているんだろうなと、連れられるままに家を出た。線路沿いまで歩こうと提灯を持たされたが、周りに提灯をもっている人は見つからず、奇妙な事をしているようでたちまち恥ずかしい気持ちになっていく。ようやく線路が見えてきて、そこに行けば幾人かは似たり寄ったり同じ事をしているだろうと気がはやった。

しかし線路沿いの通りに提灯は見当たらなかった。祖母いわくご先祖さまは電車に乗って帰るのだという。それが俄かには信じられず黙り込んでしまった。いくつもの路線が走る中でなかなか来ない下り電車に焦れて、通行人の視線がやけに気になった。そして待ちわびた下り電車を祖母は、あれは遠くまで行かないからと、棒立ちしたまま見送った。ようやく祖母が手を振った頃には私はすっかり理不尽な気持ちになっていた。今となっては懐かしい思い出だが、家族に話してもやはり誰も覚えてはいない。あの送り火は祖母の思いつきだったのか、それともどこかで行われていた風習を引き継いだのか。なにはともあれキュウリの馬や茄子の牛での送り迎えもそうだが合理性などは差し色程度で、この手の風習の意味は、思慕の情と脈々と受け継がれる形式を模する事がすべてだと個人的には考えている。おそらく愚直に向き合う姿勢が大切なのだろう。

「とし子」という名前の祖母

20歳になった頃だったか、祖母にまだ意識が微かにあるうちに帰省した。父親にすぐお寿司を買ってくるように頼まれて自転車を飛ばした。祖母は食べる事を拒否していたから、好物のお寿司ならという算段だったのか。お寿司屋さんまでの炎天下、祖母の名前から連想したと思われる宮沢賢治「永訣の朝」のフレーズが頭でリフレインした「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」真夏には合わないなと思いながら「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」と唱えてしゃかりきにペダルを踏んだ。

いかにも帰省した私が携えてきたものというふうに紹介されたお寿司を祖母は一つだけ億劫そうに食べて、ぼそぼそと私を励ました。もうほとんど言葉を発する事はなかったから、まわりにいた親戚たちは遺言だと騒ついた。家族から孤立しがちで、ふらふら逸れていくような私をいつも心配してくれていたんだなと申し訳ないような気持ちになったのを覚えている。

ありがとうを伝えるなら

そんな昔の事を思い出して、断片的にしか覚えてなかった「永訣の朝」を読み直してみた。声に出して読んでみたが思わず息が詰まった。そこには祖母が最後にかけてくれた言葉と重なる一節があったからだ。短い遺言と詩の一節。はからずも祖母との会話が成立したような感覚に「まさかな」という驚きと同時に、また会いたいなという感情が込み上げてきた。

祖母の送り火がなにをイメージしていたかについては今となっては分からず終いだが、先祖を電車で送るなんていうのもどこか銀河鉄道みたいでわるくない。来年こそは1人でも提灯をぶら下げて祖母と同じやり方できちんと先祖を送ろうと思う。人間の繋がりは死で分かたれるほど単純なものではないと信じていたいのだ。

この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
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