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手のひらに託されるもの2
家族

手のひらに託されるもの2

今年も残り3か月だ。ここ数年はハロウィンが終わるとすっかり年末ムードに切り替わっていくような印象がある。なんにしても去年の紅白が流れる風景を思い出してみると、あっという間の1年だった気がする。とは言え、どんな歌を耳にしたかはあまり覚えてないけれど、中継ながら紅白初出場だった宇多田ヒカルの事は印象に残っている。

去年のNHK朝ドラの主題歌「花束を君に」が、母親である藤圭子とのお別れの場面を歌っている事に気がついたのは9月末頃だったか、ドラマはすでに終盤に差し掛かっていた。まさか朝ドラの主題歌のオーダーにこの曲を提供するとは、なんて自由な人なんだと驚かされたが、ありあまる才能とセンスと遊び心で魅力的な音楽を発信してきた印象がある宇多田ヒカルが、人生を歌っているんだなと思うとやけに感慨深かった。

怨みは雪のように

藤圭子も昭和を代表する歌手なのだろうけど、娘に歌で上回られることを単純には受け入れられない性質の人だったと思う。自分がどんどん小さくなって社会から忘れ去られていく感覚を味わっていたのではないだろうか。さらに病気のこともあり、娘に普通の愛情を注ぐことができない状態が長く続いて、持ち直すことはあっても、その振り幅はすでに自身の手に負えなくなっていたのだろう。また人生において再び、とめどなく流れ込んできたお金も、逆目のレバレッジになったのかもしれない。「怨歌」の歌い手は、家族へ続く道をすっかり見失っていたのだろう。宇多田ヒカルが母との関係にさんざん翻弄され続けたことは有名な話で、複雑な感情を抱いていたはずだが、だからこそまっすぐに今までありがとうと歌えるのは凄いことだと感じる。「世界中が雨の日も 君の笑顔が僕の太陽だったよ」とか「どんな言葉並べても 君を讃えるには足りないから」というフレーズはあまりに美しい。

たとえ自虐の詩でも

藤圭子は紅白に固執していた。落選したショックで人生を狂わされたと語るほどだったという。だから宇多田ヒカルの「紅白とか見たことないから出ませんよ」みたいなそれまでの発言はおそらく嘘だった思う。母親への配慮で辞退し続けたのだろうから、鎮魂歌でもある「花束を君に」を歌うなら紅白よりふさわしいステージなんて考えられなかったはずだ。

宇多田ヒカル自身も母親になった事によって心境の変化もあったのだろうか。スターとしての煌びやかな人生と並べて語るには相応しくないのかもしれないが、その関係は業田良家「自虐の詩」の薄幸な人生を歩み続ける幸江とも重なる。

幼い頃に自分を捨てた母親からの愛情を求め続けた彼女が、ある出来事を境に「ずっと握りしめていた手のひらを開くとそこにあった。そんな感じで」と、依然として消息がつかめない母親宛に届くことのない手紙を綴る。そして「ただ人生の厳粛な意味を噛みしめていけばいい」今はそれが分かったので勇気がわいてくると続ける。この両者が詩に託している母親への想いは本質的に同じものだと思う。

藤圭子と宇多田ヒカル。母娘間で継承された破格の才能がどう花開いていったかということよりも、あまりに近しい命題を与えられた人生において、そのものを受け止める側に立つことを心に決めて、次の命を繋いでいく姿勢に、掛け替えのない厳粛な意味を感じ、感動を覚える。その関係の前では、どんなに素晴らしい歌であえっても、添えられた花束に過ぎないんだなとすら思えてしまう。

この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>>