他人のミスを数えるような人になってはいけない。スタートラインが一緒だとやりがち!
何に意識を向けるかで成功は決まる
自分の成功を数える人と他人の失敗を数える人。
どっちが人生を上手に生きていくだろうか?私は前者だと思う。
成功する人ってのは他人の事なんかどうでもよく、自分がどうあるべきか?自分は何をしたか?って事を重視して生きていくらしい。
非常に主人公らしいし、主人公は成功者になるのが常であるから、自分を主として考えるのも妥当だろう。
私は他人ではないから、他人の事はどうでもいいのである。
そういう意味で、「私のサイトのアクセスは何々だけど、アイツのサイトはもっとたくさんある!憎い!」とか、「私のサイトのアクセスはこれだけの期間続けているのだから、このくらいあるのが妥当!恥ずい!」とか、そういう「他人目線」で考える事が主な思考内容となってしまうとよくないと思う。
別に他人と比較して己を鼓舞する材料とするのは結構だが、思考の中心が他人になってしまったらお陀仏である。とそういう話である。
我ながら自己否定が上手であるなぁ、と今日も私は私を褒めるのである。褒めてはいけない部分もある事に気づいた私は洞察力に優れているのだろう。
条件が揃いすぎると他者否定が捗ってしまう
人間は社会動物であるから、他者との比較という能力は標準装備されている。
なんであれ、条件を揃えて比較しようとするのが人間である。
条件を揃えるのが難しくても、予測と想像で補完して、勝手に落ち込んで妬んだりするバカにいるらしい。そこまでして不幸になる材料を手に入れといて悲劇のヒーロー・ヒロインを気取る人間もいるのだから世の中面白いものである。まぁそういう人は悲劇が防衛手段になっていたりするのだから大変である。。
で、まぁ何でもいいんだけれど、スタートラインが揃ってヨーイドンで始まる状況ってのは非常に比較がしやすい。
皆が同じラインからスタートして、やる作業も最初の内はみんな一緒!ってなると、他者との比較が物凄く簡単になるのだ。
例えば3つの物の中からどれか1つを持ってくる。という作業を命じられたとしても、何十人もいると、稀に間違える人間がいる。
100人はできるのに、1人だけができない。
別にミスをしたその一人だって、偶然に偶然を重ね起こってしまった事故みたいな物だったかもしれない。
でも、はぐれ者には皆厳しいし、自分が当たり前にできた事については、できなかった他者を残酷に見下す習性を多くの人は持っている。
そういう思考ってよくないなぁ、と本当に思う。比較しやすい環境ってのも考えものである。
凡ミスをした人間をあざ笑いながらも、当たり前の作業でも回数を重ねたり悪条件の上で行われたりすると、バカにしている当の本人もミスしてしまったりする。
そうすると、言い訳のオンパレードである。
そこが始まって、自己防衛のための他者否定なんかが怒涛の勢いで繰り出されると、主人公の座からは転落していく次第である。
他者中心の脳内構造になっていく始まりである。
良い意味で自己中心的になろう
てな感じで、安易な他者否定なんてロクな事がないのである。
私は自分の人生を生きるのであるから、他人は自分を高めるための存在である事を常に脳みそに認識させるべきだろう。
そういう意味で、良い意味で自己中心的になるのが、成功においては大切なんだと思う。
他人のミスなんてどうでもいい。私のミスだって、しっかり反省したらいつまでも気にしない方がよいだろう。
大切なのは、小さくてもいいから私は私の成功体験に意識を向けるべきだ。
私が私の人生という物語の主人公になって成功するためには、自分の良い所を意識するのが大切だ。
寄稿元:イロトカタ