新潟女児殺害事件に考える。「孤独」という元凶をコミュニティは撲滅できるか
新潟女児殺害事件はようやく容疑者が捕まった。わずか100メートルしか離れていない近所の「普通」の会社員による猟奇的殺人事件。
もちろん、容疑者本人に問題があるのだが、地域として何か取り組むべきことがあるのだろうか。『名言力』(大山くまお著)という本に、ハッとする言葉が載っていた。紹介したい。
「人は人と関係を持つことによって、その存在を確かめ合うことができる。誰とも関わらず一人で生きようとしても、他人から認めてもらえない限り自分がいるって信じられなくなってしまうのです。自分の存在を信じられなくなってしまった人は、自分の存在意義を求めて暴発してしまうことがあります。その一例が無差別殺人でしょう。犯人は見ず知らずの人の命を奪うことによって、無理やりその人との関係性を作り上げてしまうのです。一方的に」
自分の存在感を実感したいがために人を殺す―。
人との関りが薄れていくと、それに反比例して、マイナスの衝動が増幅する。殺人という行為で自分が生きていることを確認しようとする。孤独が生み出す脅威。孤独によって、人はどんどん非人間的になってしまうのだ。
打ち消されるマイナス感情
私は、昨日夜7時まで、マイナスの感情が膨らんで仕方がなかった。町会の問題で悩んで、ぶっちゃけ、「なんでもかんでも私(町会長)に押し付けやがって。町会なんて、どうにでもなれ!」という投げ遣りな気持ちになっていた。
ところが、奇跡のような出来事が起き、一気にプラス感情で上書きされた。
何があったのか。広報仕分け(作業)に10人もの協力者が来てくれたのだ。
広報仕分けの協力者はいつも3~4人。前回(新役員になった新年度初)の広報仕分けも結局、5人だった。だから、「やっぱり、この町会は何も変わらないな。やる気のある人はこの町会にはいないな」と諦めていた。憂鬱な気持ちで会館に行くと、なんと、次から次へと新顔の協力者が集まって来るではないか。
総会資料の製本作業があったので、いつものメンバーなら夜9時、10時まで掛かるところ。でも10人いたので、1時間もしないうちに終わった。
しかも、その後、ロッカーの組み立て作業までやってしまったのだ。みんなでワイワイ、ガヤガヤ。本当に、楽しい作業だった。町会活動が楽しいと思えたのは何カ月ぶりだろうか。
地域コミュニティを無力にする元凶は「孤独」
孤独にしないこと、孤独にならないこと。これが地域平和の源だ。
実は、前回のブログ(“楽しい”町会)では当初、タイトルを「自力再生は不可能」にしようかと思っていた。それほど、町会の非協力性に絶望していた。あまりにも町会長として孤独感を感じていたので、自暴自棄になっていた。
地域コミュニティを無力にする元凶は「孤独」。
犯罪被害者にならないためにも、加害者にならないためにも、孤独を撲滅していかなければならない。改めて、地域における挨拶、声掛け、交流が大事であることを肝に銘じたい。
お節介、ずうずうしい、あつかましい、なれなれしい、わずらわしい、と思われるかもしれないが、勇気を出して、声を掛けよう。