さくら文化論〜花を巡る自己認識と歴史認識〜
ケニヤ出国を明日に控えせわしなく準備をすすめていた。ふと窓から外を見ると八分咲ぐらいのさくらの木が目につく。日本にいれば、なんの変哲もない春の光景。毎年毎年見てきた景色ではあるけれど、海外に出てみるとどこか懐かしい思いと同時に何かかつてとは違うような感じもする。
残る桜も散る桜
昔、戦争映画の中でこれから戦地へ赴く軍人が、戦況が芳しくないことを知りながらも「散る桜 残る桜も 散る桜」と桜の木下で呟いているシーンを見たことがある。
その戦争の是非をここで論じるつもりはないけれど、儚く散りゆく桜と、これから失うであろう自らの命を重ね合わせる姿に心打たれた記憶がある。
この俳句の作者は江戸時代の俳人、良寛。彼は今から200年以上前にこれを読んだことになるが、短い5・7・5の17音に心を動かされるのは私だけではあるまい。これだけに限らず日本では和歌、短歌、俳句のみならずありとあらゆるところで、桜について繰り返し繰り返し語られてきた。
花に投影された「私」
日本といえば象徴する花として多くの人が桜を挙げるだろう。では、お隣はどうか。隣国の韓国では国を代表する花はムグンファだという。一輪でも力強い色彩を放つ木槿の花は淡い色ながらも集まって咲く桜とは異なった魅力を持っている。
その花たちはその国の人々の心性を象徴しているといる議論もある。ところで、現地ケニアでは国花というものは存在しないらしい。だからといってケニアが花に関心がないとか風情がないということではない。
ケニアで生花業はコーヒーや紅茶、あるいは旅行産業に対比されるぐらい重要な外貨獲得の手段である。薔薇や蘭などは数限りない種類が栽培され海外に輸出されている。ある意味で恵まれた自然環境の中では、小さな一輪の花に自らの精神性を投影するにはあまりにも小さすぎるのかもしれない。
私と自然と
アフリカは文字の発達が遅れた。エジプト文明がアフリカの中で唯一文字を持つ文化を育むことができたそうだ。後の国はムスリムにせよ、クリスチャンにせよ外部との交流や入植によって獲得されるようになった。
もちろん、私個人としては日本の大伴家持や紀貫之、西行に業平から宣長、俵万智まで大好きである。しかし、そもそも人間の感情というのは言葉で表現しきれるものなんだろうか。西洋では花に自らを映し出そうと花言葉なんてものまで作った。
それは先人たちが自分自身を自然に投影しようとしてきた人間の文字文化の成果である。でも、実は花をはじめとした全ての自然は人間が生まれる遥か昔からそこに在ったわけで、その歴史は人間のそれとは比べ物にならないぐらい長い。アフリカでの経験がこれまで、自分が見てきた桜をまた別の見方で見せてくれているようだ。