「えーと…どうすれば人は集まりますか?」町内会をみんなのホットエリアにする方法
町会運営について「人が集まらないので、何もできない。なんか寝られなくなって、脳神経外科の世話になるまでになっちゃったよ~」と知人(仮称、田中くん)に悩みを打ち明けた。「あなたは町会長の器じゃない。器が小さいから、人が集まらないんだよ」と田中君。ガツンと罵声を浴びせられ、落ち込んだ。そして、さらに、とどめの一発が…。
田中くんは3つの会社を経営するビジネスマン。ちょっとやそっとでは人が動かないことを身をもって知っている。
「ビール瓶をもってテーブル席を回って、ビールを注いでる?」「くそ真面目な話ばかりしてない?」「そもそも、あなたには『この人には逆らえないな』という権威とかオーラがないのよ」
田中くんは、私に足りないことをズバズバ言う。
「世のリーダーは、まず社会的に成功していて、一般人はその権威に一目置く。近づきがたいリーダーがビール片手に自分のところにへりくだってくるから、応援してあげようかなという気になる。だから、声を掛ければ集まってくる。金も力もないくせに、くそ真面目に正論ばかりを言っているようなヤツには『勝手にやってろ!』って、誰もついていきゃあしないよー」
ごもっとも。
バッサリ否定されて落ち込む私。同情からなのか、最後に彼はこう言った。
「悩んでウツ病になるくらいなら、とっとと辞めたほうがいい。店を開いて、いろいろやって客が集まらないのなら、そんな店は畳むしかない。悩んでいたって、赤字が膨らむだけだから」
何をやっても人が集まらないのなら「どうやって人を集めようか」と悩むより、撤退したほうがいい。町会長を辞めろ、町会をつぶしてしまえ、と暗に言っているのだ。
町会は、株式会社とは組織の目的も性格も異なるので、簡単に「撤退」(解散)とはいかない。でも、一つ一つの町会行事について言えば、それもありかもしれない。悩むくらいなら、新たな事業展開を考えたほうが生産的であるという話は、ストーンと腑に落ちた。
私はこれまで「助け合い」「協働」という言葉に引きずられてきた。町会員は運命共同体で、みんなでオールを漕いで進むべきだ、と思ってきた。ゴミ拾い、防犯・防災、子供の見守り・育成、文化活動、福祉事業…。これらは町会の事業として、みんなで助け合いながらやるべきだ、と勝手に信じ込んでいた。
しかし、よくよく考えてみると、これらはすべて行政サービスでまかなえる。町会員の協力や互助がなくても、成り立つのだ。つまり、市民は税金を納め、その代わりに行政機関がサービスを提供するという形になっている。町会員同士の助け合いは特になくてもいい。助け合わないと生きていけない、という時代は、とっくに過ぎ去ったのだ。
だから、町会行事に人を集めなきゃ、と考えるのは時代遅れ。ましてや、あの人が動いてくれない、この人が働いてくれない、と嘆くことはナンセンスなのだ。もはや、その考えは捨てたほうがいい。
町会員は、町会のために無理して働かなくていい。町会は、義務を押し付ける機関ではなく、町のシンボルであり、町のホットステーションにするのが望ましい。「助け合い」の押し付けは時代錯誤でしかない。
そこで、義務ではなく、自然と集まりたくなるような方策を考えてみた。
たとえば、会館の敷地に、フリーマーケット(市場)スペースやテレビ、遊び場、カフェ(自販機)、菜園コーナー、宅配留守ボックス、充電サービスなどを設ける。家庭の不用品を持ち込んだり、友達とお茶したり、花や野菜を植えたり、テレビ観たり、パソコンやったり…。町会員が自由にフラッと立ち寄ることのできる空間になるのではないか。
町会員の交流する町のホットエリア“町の駅”。事業母体は町会。
なんか面白くない?
こうあるべき、という固定観念を捨てて、新しいことを考えたい。町会の可能性は無限に広がっていく。
寄稿元:地域コミュニティに明日はあるか