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リリーの孤独を「帰宅困難者」になって改めて考えてみる帰り道
コミュニケーション コミュニケーション 2018.03.07

リリーの孤独を「帰宅困難者」になって改めて考えてみる帰り道

久しぶりに終電を逃してしまった。最寄り駅まであと5駅のところまでは帰れたがそこで足止め。早歩きなら家まで2時間くらい。小雨が降っているがタクシーは使いたくない。

ふと終電後の深夜バス「深夜急行バス」の存在を思い出し、ロータリーを探すと数台がスタンバイしていた。その中に自宅の近くまで向かうバスが一台あった。この助け舟はありがたい。

1日忙しなく人を運んだ交通網がすっかり途切れてしまった深夜に、すーっと手を差し伸べてくれる一筋の蜘蛛の糸である。案外たくさんの人たちがゴタゴタと乗り込んで、ほぼ満席でバスは動き出した。

普段バスには乗らないので、こんなふうにぼーっと手放しで車から街を眺めることはあまりない。少しホッとして薄っすら曇っている窓にルドンの大きな目玉の怪物みたいなのを描いてみる。

家に帰れることの嬉しさなのか、どこかふざけていて、怪物の目で流れていく風景をみつめる。バスが荒川の橋を渡り始めると視界が開けたからか、いつの間にか「男はつらいよ寅次郎忘れな草」で寅さんが語った台詞について考えていた。

『言ってみりゃ、リリーも俺とおなじ旅人さ。見知らぬ土地を旅してる間にゃ、そりゃあ人には言えねえ苦労もあるよ。

たとえば、夜汽車の中。少しばかりの客はみんな寝てしまってなぜか俺ひとりだけいつまでたっても寝られねえ。真っ暗な窓ガラスにほっぺたくっつけてじーっと外を見てるとね、遠く灯りがぽつーんぽつん。

あーあ、あんなところにも人が暮らしているか…。汽車の汽笛が「ボーー…ピー…」そんな時、そんな時よ…。ただもう訳もなく悲しくなって涙がぽろぽろぽろぽろこぼれてきやがるのよ。なあ、おいちゃんだってそんな時あるだろ?』

相手の話が分かるとき、分からなくなるとき

おいちゃんに寅さんが語るこの台詞は、そもそも寅さんとリリーが網走で出会った時に交わした会話を踏襲している。一目で同じ匂いを感じとった二人が、夜の車窓からみえる風景の描写やその時の心情を相互に綴ることによって、まるで合わせ鏡のように同じ悲しみと孤独を抱えている事を深く確認し合うのだ。

そして馴れ合いなく寅さんの名前だけを聞いて、どこかで会おうと立ち去っていくリリー。同じ界隈に生きる者同士、またひょっこり会えるような余韻が漂う名シーンである。

それでも二人には決定的な違いがある。リリーには帰るところがないのだ。疲れるとふらり「とらや」に帰ってくる寅さんとは逆に、リリーは居た堪れなくなると旅にでてしまう。そのベクトルの違いで二人は再会を果たすも決別してしまう。

網走ではあんなにも心が通じたふうだったのに、深酒をして深夜の「とらや」に駆け込んできたリリーに対応する寅さんは一変して定住者のようで、二人の会話はまったく噛み合わない。どちらかと言えば、リリーの話がまるで耳に届かないのだ。

日常の端っこで思い出す3・11

最後のバス停に着くと、20代くらいの女性が取り乱して運転手さんになにかを聞いている。どうやら2つ隣の駅周辺で降りるべきなのに寝過ごして、終点まで来てしまった様子だった。

下車した客がパラパラと消えていくなか、少し酔っていたのかパニックを起こしているように、ここじゃない、ここじゃないと闇雲に訴えかける。お金がないのだ!と、なんの面識もないだろう男性客に話しかけて、なにやら状況を打開しようとしている。

近くのコンビニに寄って再びバス停の傍を通ると、さっきの二人が軽い言い争いをしていた。なんでそうなったのかは分からないが、女性は捨て台詞のように「歩いて帰る」と叫んでいるのが背中のほうで聞こえた。

そこで急に7年前の震災で帰宅困難者になったあの夜の空気感が生々しく蘇った。直接の被害らしいものは受けなかったが、都内に出勤していて帰るのに骨が折れた。あの非日常的な光景が断片的に目に浮かんだ。

薄っすらと被災したものの軽薄さ

「帰れない事」について、定住者として暮らしているとほとんど意識しなくなる。どうしても考えられなくなるものなのだろうか。

被災により現在でも岩手、宮城、福島3県沿岸のプレハブ仮設住宅で暮らす被災者は約1万5千人であり、そのうち少なくとも約5%は転居先が未定だというニュースを最近耳にした気がする。ただ情報として入ってくることはあっても、やはり共感する事はできていないんだろうなと思う。

震災のときの記憶がフラッシュバックするように蘇ってきていろんな事を考えされられた。それでも今この時間だけなんだろうなと少し軽薄さを感じる。信号待ちをしていると先程の女性が追い付いてきて並んだ。傘もなく小雨は相変わらず降り続いている。1時間ほど歩くのだろうか。

とっさに「タクシー代、お出ししましょうか」と声をかけてみたものの「結構です」と断られてしまった。アプローチがずいぶん場当たり的でこうじゃないなという気がした。バスに乗る前であれば違っただろうか。信号が変わるとお互いすたすた離れていく。

人は忘れていく生き物だ。「忘却はよりよき前進を生む」というのは一面真実だと思う。それでも例えば去年を7回忌とするなら遅ればせながら、ここでしっかり向き合う時間をもちたい。もうすぐで震災から7年経つ。これをきっかけになにか変われないだろうかと漠然と考えている。

この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
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