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人間関係 2017.11.09

その人が、眠っているところを見かけたら

その人が

眠っているところを見かけたら

どうか やさしくしてほしい

その人は ボクらの大切な先生だから


そんなエピローグで始まる伊集院静「いねむり先生」。ノンフィクションではないが主人公は、妻で女優の夏目雅子を白血病で亡くして失意に暮れていた頃の著者自身である。そんな心身ともに荒んでしまっていた主人公が出会った「先生」との交流をベースに書かれた自伝的な小説というスタイルをとっている。

「先生」の名前は色川武大。直木賞をはじめいくつかの文学賞を受賞した純文学の小説家であり、同時に阿佐田哲也のペンネームで大衆文学「麻雀放浪記」を書いて世に広く知られた雀士である。そんな作家にしてギャンブルの神様と過ごした温かい日々が綴られている。先生の不思議な魅力に惹かれながら、やがて絶望から再生していく男の物語なのである。

二人の間に結ばれていく関係を端的に言えば友情ではなく「敬愛」だと思う。本の帯に書かれている文句の通り、誰かのことをずっと慕っている人から、その誰かの話を聞くのは、とても気持ちのいいものである。その心地よさがこの小説には一貫して流れているのだ。

希望の見えない日々のなかで

色川武大には八方美人なところがあり、だれにも「自分が一番愛されている」と感じさせたという。そんな先生の提案で、二人で「旅打ち」というギャンブルの旅に出かけるところが小説的に最も盛り上がるパートだと思う。先生は説教をするわけでも、ことさらに慰めてくれるわけでもなく、ただ傍にいてくれるのだ。そしてなによりも先生自身が大きな破綻を抱えながらも人にやさしく生きる姿に触れて、それがチャーミングなんだと感じられることで、静かに再生は始まっていくように感じる。それにしても先生の壊れっぷりはなかなか凄まじい。たとえばタイトルの「いねむり先生」は、先生がナルコレプシーという持病の睡眠障害のせいで、どんな場所でも唐突に深い眠りに落ちてしまうことから取っている。たとえ麻雀の最中でも、公園のベンチでもあまりに無防備に眠ってしまう。それだけでなく幻聴、幻覚に苦しむ様子も描写されていて、突然、底なしの絶望感に絡めとられてしまう先生に、為す術のない主人公はいつもヒヤヒヤされられるのである。

自分は誰かとつながりたい、人間に対する優しい感情を失いたくない

この本における先生を理解する上で、最も肝になっていると思われるのは、先生が旅打ちの合間にも執筆していた「狂人日記」の一節だ。その後、出版された本を手に取った主人公は、そこに描かれる「自らを狂人であると自覚している男」の唐突な吐露に戸惑うことになる。「自分は誰かとつながりたい、人間に対する優しい感情を失いたくない」その一行がいつまでも頭から離れなくなり「今度はボクが先生を守る番だ」と強く思うのだ。この時点で彼はすっかり立ち直ったように感じられる。

個人的には、もう一か所印象深いシーンがある。先生が昔馴染みや編集者とともに「特観席」で競輪を打っていた時のエピソードだ。この席にはメッセンジャーと呼ばれる女性が控えていて、専用の買い目表のついた封筒に現金を入れて渡すだけで、的中したら払い戻し金を運んできてくれるそうなのだが、その日は誰も的中者がいなかった。皆が落胆して帰ろうとすると、メッセンジャーの女性が結構な金額が入った封筒を運んできて「おめでとうございます」と、仲間うちの男に渡したのだ。女性のミスによるとんだ拾い物に皆は色めき立ち、これで今夜宴会をやろうと沸き立った。その時に先生が「その程度の金で、あの女の一生を傷つけるのもどうなのか」と、ぽつりとつぶやく。その一言でお金は返されたという。

そんなエピソードにも先生のやさしい人柄と、目先ではなく流れを読み切るギャンブラーとしての鋭さがよく表れている気がして、ついつい人に話したくなってしまう。そして、いつからかお金の絡む場面において、自分の一つの判断基準となっている。

この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
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