相槌が欲しい。それがないから私は早口で脳みそこねくり回してベラベラと喋ってしまうのだと思う。
会話ってのはキャッチボールなんだよ、でキャッチボールってのは相手のミットに入った時の「パン!」って音が気持ちいいんだよ
人と人が会話するってことは、私の話を聞いてもらって、相手の話を聞く、ということだ。
つまりは、私が一方的に相手に話し続けているだけでは会話ということにはならない。 (中には自分の話したい事だけを永遠とも思える程に話して、相手の話はまるで聞かずに「打ち解け合えた!」なんて感じる人もいるけれど、それはまるで間違いである)
私が話して、相手が話す。私が聞いて、相手が聞く。それが会話。
だとするならば、いつ私が話し始めてよいのか、いつから相手の話しを聞くのか。その合図を両者が出さなくてはいけない。
わかりやすい話の終止符が存在すれば結構なことだが、物事の内容というのは膨らませようと思えばいくらでも膨らませることができるので、明確に絶対的な終着点というものを普遍的な観点から決定することはできない。
私がここで終わり!というポイントと相手がここまでで十分だろ!っていう瞬間はまるで異なるから、相手の話しを遮ってしまったり、自分が話す番だと気づかないケースが出現してしまう。
会話の終着点を見つけたり、相手の話を存分に引き出したり、会話を一旦まとめたり。
そんな大切な会話の要素を構成するための道具の中の一つが「相槌」である。
相槌の範囲ってどこまでだろうか?
「うん、はい、ええ、おう、なるほど、わかった、そうだね」
といった感じが相槌に該当するだろう。きっと誰もが使用する言葉だろう。
また、
- 話の感想を伝える事によって、その話はもう終わりだよって事の意思表示をする
- 相手の話の要点をまとめる事により自分が理解している事を伝える
- 近くに存在する物を動かす事によって話を切り替える、というボディランゲージを出す
なんかも相槌に該当するのかは曖昧なところだが、「会話の流れを上手にコントロールする」という意味合いにおいては、相槌と仲良しであることだろう。
相手が理解しているかどうかを私は理解したい
そんな広い意味をも含めた相槌ってのは、やっぱり会話において超大切なんだよな。って本当に思った。
いやさ、それがないと何をどこまで話していいのかが私にはわからないんだよね。
だってさ、会話ってのは自分の思考内容を相手に正確に伝える事が目的だったりするじゃないですか。仕事の時なんかは特に。
だとしたら、相手がまるで頷きもない、返事もしない、反応もしないんだったら、相手が本当に理解してくれているかなんて到底理解できないじゃないですか。
だから、相手がわかっているって事を私が理解できるように、なんらかのアクションを取って欲しいんですよ。そのために必要なのが相槌なんですよ。
リズム隊のいないロックバンド
相槌がない人ってのは疲れるし辛いし話してて楽しくないんだよね。
ドラムのないロックバンドに対して私はおそらく魅力を感じられないのと同じような感じだろう。いや、ドラムどころかベースもギターなんかのリズム隊がまるまる存在しないようなものか。そんなもうバンドじゃないよな。
で、その相槌がないから、私としては「あれ?理解されてないのかな?言葉が足りなかったのかな?表現が悪くて理解に苦しんでいるのかな?」なんて思うのである。
なので、もっと話し続けてしまったりする。疲れる、精神衛生上よろしくない。
うんとかすんとか言ってくれ
すんでもいい。グゥの音でもいいから出してくれ。なんかしらのレスポンスが欲しいんだよ。人は何をやっても無反応だと面白くなくなるんだよ。
ドラムを上手に叩ける人間は、会話相手というリスナーを熱狂させることができるのである。
会話においてのドラムは相槌である。
ヘドバンみたいな相槌なんかしてくれたら、こっともノリノリで話しちゃうだろうなー。いや、さすがに引くか。