まるで現代の参勤交代!力を吸い取られていく地域コミュニティの夏
納涼祭をやるか、やらないか。役員会で話し合った。判断材料は以下の通り。
・納涼祭アンケートで「やったほうがいい」との回答は42世帯(「やらなくてもいい」との回答は53世帯)
・「協力できる」と答えた人は14人(うちフルに協力できる人は数人)
・アンケートの回答率25%(75%の人はアンケートにすら応じていない)
・納涼祭について話し合う役員会の出席者9人
さて、こういった状況で納涼祭をやれるだろうか…。
必要になる人的・物的準備
努めて前向きに話し合った。
「子供たちのためにはやってあげたい」
「納涼祭をやらないと、もはや町会じゃない」
「声を掛けていくと、さらに何人かは協力してくれるかもしれない」
納涼祭にどれだけの人的・物的準備が必要か。過去の事例を説明すると、議論は湿り始めた。本当に必要な「協力」とは祭り当日に、出店で店番をやったり、子供神輿の補導をしたりすることではない。
買い出しだったり、役所への届け出だったり、人集めだったり、トラックを借りてきて資材を運んだり、反省会の食事を準備したり…。
独りで買い出しや電話掛けをやってごらんなさい。その虚しいこと、虚しいこと。
しかも、非協力的なムードの強い中、下手なことをやると、冷たい視線を浴びせられる。褒める人は誰一人としていない。過去と比べて「昔はこうだったのに、あの様はなんだ!」と批判するだけだ。
「14人では、やれないね」
話し合いの結果、今年度は「納涼祭開催を見合わせる」という結論になった。
誰のせいでもない、条件が整わないのだ。
当初、私はアンケートにすら答えてくれない町会員の非協力性に怒りを覚えていた。でも、先日、町会長会議で、ある長老の町会長の話を聞いて、考えが変わった。長老曰く、
「日本の税法は官僚組織を強化するようにできている。官僚たちは税を取ることばかり考えていて、国民の所得水準は全く伸びていない。国民は疲弊する一方で一億総貧乏化している。このままだともっと町会は難しくなる」
その通りだ。町会員は悪くない。町会を苦しめている官僚が悪いのだ。
三世代が同居できる土地・建物を持てないから核家族化が進行。
夫婦共働きで働かざるを得ず余裕がない。
仕事中心の生活で、地域活動どころではない。
家庭が不安定で母子家庭、子供の貧困が増えている。
お年寄りも年金が少ないため働かざるを得ない。
なのに、税金や年金、生活コストは上がり続けている。
吸い取られていくパワー
そりゃあ、納涼祭がやれるならやりたい。でも、今はそれどころではない。地域のコミュニケーションをはかるのも大事だが、忙しすぎて家族の会話すらままならなくなっている。
土日に働いている人も多く、地域全体の祭りにはなりにくい。子供たちに「納涼祭やってるから行ってきたら」とは言えても、それを自分が企画・運営するなんて、とてもとても無理なのだ。
国民は疲弊している。地域コミュニティを形成するパワーが吸い取られている。
徳川幕府と大して変わらない“官僚封建主義”こそが問題なのだ。