コミュニティ チーム 家族 コミュニケーション 寄稿記事/取材依頼/お問い合わせ
日本、そして韓国とケニヤで気づかされる「あるということ、ないということ」
国際 2018.02.20

日本、そして韓国とケニヤで気づかされる「あるということ、ないということ」

ほぼ一年間、同じ部屋で過ごした同僚ととうとう別れることとなった。任期を終えて帰国するそうである。今振り返ってみると同僚は韓国人、自分は日本人、でも住んでいるところはアフリカのケニヤとなかなか不思議な空間だったと思う。

ケニヤに何ができるだろうかと二人で頭を悩ませ、生活しながらぶつかる困難に一緒に立ち向かいながら、振り返ってみるとこの一年間、ケニヤ以上に韓国について深く知るようになったのかもしれないと思った。

大切にするもの

「韓国人」と一言でまとめても随分といろんな韓国人がいるわけで、すべての人がそうではない事は確かだけれど、この期間一緒に暮らしながら、彼の目上の人に対する配慮には驚かされた。自分がやりたいこと、言いたいこと、進めたい方向があっても、それを年長の人の前では表現さえしないこともあった。言いさえすれば、通るんじゃないかな?と思うようなことも年長者の意志と意図を尊重するという観点から、押し黙ったいる姿に、最初は違和感も感じた。ただ一言いえばいいのにと。

ところが、しばらく一緒に寝食を共にしていると、その配慮がいつもそこにあるのを感じるようになった。「語らない」からこそ「感じる」こと、「伝わる」ことというのがそこにあるんだなと思った。日本でも空気を読むという表現があるけれど、韓国の年長者に対する「それ」には日本の空気を読むよりもそこに尊敬と配慮に満ちているように思った。

「無」の美学

ひょっとすると仏教の文化からくるのかもしれないけれど、何かをすること、語ること、与えることで伝わることと、何かをやらないこと、沈黙すること、あえて与えないことで相手に伝わるものもある。

以前大学入試の小論文で読んだような気がするけれど、日本画の中には何を描いているのか以上にその何も描かれていない空間を通じて描かれていないものを伝えようとするのだという話がある。お笑いでいうところの「間(ま)」のようなものである。何か面白いことを言ったことによって人の心を動かすのではなくて、むしろ、数秒間の何も語らない時間を設けることによって人の心を動かす。あることによって伝えるのではなく、ないことによって伝える。そしてその伝え方は時としてあることによって伝わったものよりも人の心に深く残っているという。

ないことと伝わるもの

大学院時代に随分と競い合っていた友人がいた。自分以上に勉強ができ、優れた能力をたくさん持っていた。彼に負けじと自分も努力して自分を磨こうと自分に向いてないことも随分とやってみた。彼は僕にいろいろと教えてくれもしたし、いつも自分がどうすべきかを見せてくれるかのようなお手本のような存在だった。

でも、自分に向いてないことをやるもんだから時に体調を崩したり、心が不安定になることもある。そんな時に、アドバイスなんて絶対しないし、したとしても大した役に立つものじゃないんだけれど、黙って僕の話を聞いてくれる友人もそばにいた。その友人は悩んでいる内容をしばらくじっと聞いてくれて、最後に一言、慰めの言葉をくれる。決して今の状況に対する打開策を提示してくれるわけではない。単に聞いて理解を表明してくれるだけ。もちろん、どちらの友人も僕にとってはかけがえのない友人たち。代えがたい友人たちだけれど、自分にとって、今、心に残っているのは、何か的確なアドバイスをくれて、いつも模範を示してくれた友人ではなく、ただ黙って聞いてくれた友人だ。

もちろん、これはこれから先変わるかもしれない。でも、つらかった時だからこそ、何かをくれる人よりもただ無でいてくれることが大きな助けになった。その友人たちは自分に対する特別な意見やアドバイスはないけれど、自分ならそんなアドバイスなしにうまくやれると信じてくれているからこそ何も言わない…という「 ないからこそ伝わるもの 」が確かにそこにはあった。

ないからこそあるもの

ケニヤに来て日本で当たり前のものが随分とないことに驚いた。信号がない。地下鉄もない。はたまた時には電気がこなかったり、水が出ないこともある。これは日本や韓国では絶対に経験したことのないことだった。でも、同時に、日本では感じられなかった人の温かさ、みんな苦労を共有しているからこそ互いに理解し合える目に見えない深い共通認識がそこにはあるように見えた。。

あるからといってよいのではなくて、ないからといって悪いわけでもない。ない中で何を得て、ある中で何を失わないか。もう一度、自分が何を持っていて、何を見失っているのか考えてみると案外新しいことが見えてくるものなのかもしれない

この記事を書いた人 山本眞之亮 人の成長に興味を持ち、教員免許を取得するも、目下ケニアでサバイバル体験中。最近、人びとが織りなす調和と変化の妙味に、宇宙の神秘を感じてます。
ブログ :成らぬは人の為なさぬなりけり
山本眞之亮の記事をもっと読む>>
最新記事を毎日お届け
日本、そして韓国とケニヤで気づかされる「あるということ、ないということ」

この記事が気に入ったら

関連記事