コミュニティ チーム 家族 コミュニケーション 寄稿記事/取材依頼/お問い合わせ
心のデトックス
日本人 2017.09.15

心のデトックス

最近はやりのデトックス。体の中にある毒を外に出すというのがデトックスの本義だ。つまり、デトックスが必要だという潮流の裏には、排除しなければならない何らかの「毒」が積もっていっているということ。心の中の毒になるものとはいったい何なのか考えてみたい。

何が溜まっているのか

さて、もちろん個人差、個体差があることは間違いないけれど、日本を飛び出してみて、日本人だからか不自由だと感じることがある。それは自己主張や自己表現。かつて訪れたアメリカでは、職場で何か不満や自分の考えと合わないことがあれば、無理に合わせようとはしない。「どうして?」、「なぜ?」とその疑問をぶつけ、討論の末、納得がいく一点を探す。時にはぶつかるけれど、雨降って地固まるというように、違った考えを互いにシェアすることを通して、相手の考えを理解するようになった結果、互いの理解が一層深まり、一見、けんかして、いがみ合っていたかのように見えて、けんかしたことで、仲が良くなるなんてこともチラホラ。そういう意味では、日本人には自分の考えや思いを表明したり、吐き出したりする機会が足りないのかも。アフリカでも親子、兄弟の間でいろいろと議論を交わしている姿をよく見るし、歌や踊りで自己表現をすることが社会的にも許される風土のようにも感じられる。大きなくくりで言えば言葉であれ、ダンスや歌であれ、自分の感情や思いを表に吐き出す、表現するという意味では同じだ。

吐き出す場がない

確かに、日本は同じ文化の中で、似通った人たちが学校に通い、他者との違いよりも同質性を好み、同質であることに安定や安心を感じやすいところがある。でも、一人ひとりには個性があって、短所も人それぞれ。ということは、その違いを度外視して同一視されること、同じ枠組みで測られることにストレスを感じたり、不満を持つ人が出るということもあるだろう。でも、親と子、上司と部下、先輩と後輩、様々な人間関係の中で、自分の考えを強調するよりは、相手を立てて愛想笑いしたり、適当に相槌を打つという「その場しのぎ」を選択することが実体験としては多かった。そうするうちに、知らず知らずのうちに、表にできなかった、現すことのできなかった感情や独自の感性を押し殺して、溜め続けることになる。結果、訪れるのはそのストレスからくる心的、身体的なダメージである。

ちなみに、お隣の国韓国では言語的にも日本人よりも感情を表現しやすいようだ。韓国語では感情を表現する形容詞が非常に発達していて、悲しい、苦しい、嬉しい、恋しいなどの感情と関連する語彙そのものが多い。(よって怒りに身を任せ相手を罵倒する言葉も枚挙に遑がない。)いかにそういった感情の世界を表現しようとしてきたのかうかがい知ることができる。

個人差はあると思うけれど、僕自身、自分の怒りや喜び、悲しみを表現する表現はもはや日本語よりも韓国語の方が出やすい。ちなみに、かつて夏目漱石がI love you.を日本語に訳すと月がきれいですねと訳したとかいう逸話があるけれど、日本語自体が感情のこもった言葉を発することが苦手なのかもしれない。苦手というよりは控え目な性格からあえて表現してこなかったのかもしれない。繰り返すようだけれど、もちろん個人差もあるにはある。

書きなぐりデトックス法

日本人はあまり内面を表にしないということをほかの国の文化と比較を通しながら説明してきた。でも、かくいう私は日本人のその内気で、控え目な性格が大好きである。(もちろん、そうでない日本人を嫌っているということを意味しない。)せっかく持っている性格を変えてしまったりするのはもったいないし、「国際競争力に勝つため」なんて野暮な理由でその高邁な心的遺産を捨ててしまうのは残念だ。ところが、そういった心の所作が実生活に支障をきたすようになっているというならば、話は別である。心の内を吐き出す機会が持てずに、心を病んでしまうことがあるなら、そこまでして大切に守る必要はないと思う。

そこで今回紹介したいのが「書きなぐりデトックス法」である。平たく言えば、だれに見せる必要もない日記のように、自分の感じたこと、思っていることをただひたすらに書きなぐる。

日記というと「いえいえ、私は続きませんよ」と「かやってみたけどダメだった」とかいうネガティブな経験を引っ張ってくる人もいる。でも、もう一度考え直してほしい。書きなぐりデトックスは「書く」の目的が日記とは根本的に違う。極端に言えば無理に続ける必要はないのである。自分が吐き出したいときに思い切って吐き出す。感情というのは自分と一体となっているので、普段、気づけなかったり客観的に見つめることが難しかったりする。でも、これを紙の上に活字にしてみるだけで、随分と楽になったりする。もちろん、自分の話をうだうだと聞いてくれる話し相手がいればそれに越したことはないけれど、だれもが忙しい現代社会において、相手とスケジュールを合わせるのは簡単ではないし、時には話すだけでなく、相手の話を聞いてあげるということも必要になることを考えるならば、書きなぐりデトックスは一人で、自分のスケジュールに合わせてできるという点で非常に使い勝手が良い。

昨年、僕自身が言葉がなかなか通じないアメリカで、自分の精神衛生を維持してくれたのはこの書きなぐりデトックス法のおかげだったといっても過言ではない。書きなぐりデトックス法様様である。皆様も紙と鉛筆だけでできる心のデトックス、お試しあれ♪

この記事を書いた人 山本眞之亮 人の成長に興味を持ち、教員免許を取得するも、目下ケニアでサバイバル体験中。最近、人びとが織りなす調和と変化の妙味に、宇宙の神秘を感じてます。
ブログ :成らぬは人の為なさぬなりけり
山本眞之亮の記事をもっと読む>>
最新記事を毎日お届け
心のデトックス

この記事が気に入ったら

関連記事