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コミュニティ 2017.09.12

悪意と悪意が重なるとき

1度だけ交通事故を目の前で見たことがある。

それは、歩行者とバスの衝突。

幸いバスが大したスピードを出していなかったので大事には至らなかったが、それでもドン!という鈍い音がして歩行者側は盛大にすっ転んだ。打ち所が悪ければ、もしかしたら命の危険があったかもしれない。

そのとき、信号は赤。その歩行者は赤信号を勢いよく歩き出した。そしてバスもまた、赤信号を通り過ぎた。

たまに見る、歩行者側も車側も赤信号というあの状況だ。

歩行者側は、車側も赤信号だし急いでいるからと歩き出したのかもしれない。バスもまた、黄色と赤の境目で今なら進めると思ってしまったのかもしれない。

そんな小さな、ルールを破るという悪意。そんな悪意と悪意が重なったとき今回の事故は起こったのだ。
もし歩行者側が亡くなっていたら、その人の家族はどうなっていただろう。バスの運転手だって元の人生には戻れない。1度壊れてしまったものは、人であれ、繋がりであれ、もうそのままの形では戻ってこないのだ。

ルールとは私たち自身や私たちに関わる繋がりを守るために存在している。そのルールを軽い気持ちで破ろうという、悪意。
1つの悪意では大した問題にならないものが、多くの悪意が重なることで、繋がりを破綻させていくのかもしれない。

人との繋がりは私たちに力や希望を与えてくれるが、一歩間違えば危うく、脆い。

そんな人の繋がりを守るためにルールや決まりごとは存在するのだと、この事故は私に強く感じさせたのだ。

この記事を書いた人 二郎重範 口下手でほとんど人と話さなかった少年時代を過ごし、社会人での経験や結婚を通して人の繋がりの大切さを知る。ベンチャーや大手企業をわたり、ある時、良いチームとの出会いとそのチームが崩壊するまでを経験。その時から人の繋がりについて真剣に考えるようになる。一児の父。 二郎重範の記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
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