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アセット 5 寄稿記事:地域コミュニティに明日はあるか 2000人の「ボランティアやめます」に考える「やりがい搾取」
コミュニティ コミュニティ 2018.03.02

2000人の「ボランティアやめます」に考える「やりがい搾取」

平昌オリンピックでは大会を運営するため約1万8千人のボランティアを招集した。報道によると、極寒の中、長時間バスを待たされるなど劣悪な待遇に耐えられず開幕までに2千人のボランティアが辞めたという。東京オリンピックでは9万人のボランティアが招集される。歴史的、国家的イベントの運営に関われることは名誉なことだが、それがすべて良いとは限らない。「ボランティア」の負の部分を考えてみたい。

元衆議院議員の三宅雪子氏が自身のブログに「東京五輪9万人ボランティアという『やりがい搾取』に反対します」と題して、その問題点を指摘している。

東京五輪9万人ボランティアという「やりがい搾取」に反対します=三宅雪子

大会組織委員会の委員らには高額な報酬が入り、運営業者である電通にも高額な収益がもたらされる。それなのに、ボランティアだけは無償。これはおかしい、という。これは正論だ。

同じ警備や椅子並べをしても、電通に委託した分だと有償で、ボランティアだとタダ。この差は一体、何だ。“やりがい搾取”との批判は妥当だろう。

「町会=ボランティア組織」という前提

町会においても「町会=ボランティア組織」という前提があるため、悩まされることが多々ある。

最たるものは、無償をいいことに、行政があれやこれや平気で要請してくることだ。ゴミ集積所や公園の管理、防災活動、広報活動、イベントの動員、委員探し…。要請する側の公務員たちはしっかり給料をもらっているのだから、やるせない気持ちになる。

行政ばかりではない、町会員も役員が無償で働くことを当然のように求めてくる。委託費や会館使用料など町会に入ってきたお金は会館修繕費や仕入代に使うのはいいが、実際に働いている役員たちに手当を出すことは認めたがらない。

役員のなり手がいないので、仕事の多くを町会長である私がやっている。本来、総務部が作成すべき資料の一切合切を私が作り、会館運営部がやるべき会館の管理(鍵の手配、利用料の徴収など)も私がやっている。ところが、ボランティアを前提としているため、そうした苦労は全く考慮されない。市のポスターを毎月、6カ所の掲示板に貼っているが(所要時間約2時間)、市からも町会からも1円ももらえない。やりがいのない仕事だから、ただの“搾取”だ。

必要なのは「やりがい」を還元する仕組み

地域コミュニティの低迷を招いているのは「ボランティア組織」という定義そのものではないかと思うようになった。オリンピックのボランティアならジャケットやバッチ、そして名誉が得られるだろう。もちろん、やりがいもだ。ところが、地域コミュニティでは何もない。だから、役員をやった人は嫌な思いをして二度と役員を引き受けなくなり、行事にも参加しなくなる。

頑張って活動しても、お礼もなければ、評価もない。何かが良くなっているという手応えも、スキルアップもない。これでは「二度とやるもんか!」となってしまう。もし、数百円でも「あなたの活動に対する町会からの感謝の気持ちです」として還元する仕組みがあれば、またやってもいいよ、という気になるのではないか。

だから、地域コミュニティを存続させるためには“半償”組織に変えるしかないと思っている。目指すべきは地域コミュニティの維持であり、活性化である。無償(ボランティア)にこだわって、コミュニティを損ねては本末転倒だ。

「ボランティア」という言葉が地域コミュニティを苦しめている。そうなることをスポーツマンシップも、奉仕精神も願ってはいないだろう。

寄稿:「地域コミュニティに明日はあるか」
この記事を書いた人 吉原正夫 地域コミュニティが崩壊している。この流れを食い止めるには、どうしたらいいか。地域コミュニティ再生に掛けた現役町会役員の挑戦を綴る。
地域コミュニティに明日はあるか
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