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声を枯らして「勝ち負け」を変えられなくても、明日は確実に変わっていく。
コミュニケーション コミュニケーション 2018.02.24

声を枯らして「勝ち負け」を変えられなくても、明日は確実に変わっていく。

先日キックボクシングの試合を観に行った。どうやら日本にはキックボクシング団体がいくつもあるそうで、今回は「NKBキックボクシング連盟」の興行だった。

ある選手の応援に行ったわけだが、普段スポーツをやらないこともあり「皆さんの応援が力になり」という経験があまりない人間からすると、競技中の応援がどれほどの力になるのか正直よく分からないところがある。

会場は後楽園ホール。きらびやかな東京ドームシティのなかでは際立って昔ながらのムード漂う格闘技の聖地である。今回は、別団体でランカーでもある友人と合流し、隣の席で観戦させてもらった。キックボクシングについてあれこれと教えてもらえたので、聖地に足を踏み入れる上での最低限の身だしなみを整えることができた気がする。

まずそのルーツともいえるムエタイとの違いが気になるが、ムエタイは「ヒジ打ち」「首相撲」が可である。首相撲とは立った状態で相手の首に両腕を絡ませ動きを封じ、膝蹴りやヒジ打ちを繰り出す。キックボクシングでは禁止している団体もあるが、NKBではOKという事だった。

相手セコンドから注がれる敬意

首相撲はタイの選手が得意としていて、日本のプロキックボクサーが、タイの子どもに首相撲で負けてしまうなんて事もあるという。さすがにキックボクシングの宗主国は伊達じゃない。

今回はメインの試合で日本人チャンピオンとタイの選手があたる。もちろんムエタイ使い(ナックモエ)である。普段はY’ZD石神井公園ジムというところでジムトレーナーをしているようだ。

戦績が10戦に満たない日本人選手が多い中、このタイの選手はデビュー戦すら不明で126戦はこなしているというまさにネイティブナックモエだった。首相撲もさぞかし上手いんだろうなと怖いもの見たさが首をもたげる。

それにしても、激しく拳を交えていても試合が終われば相手に挨拶をするのは多くのスポーツや格闘技で基本的な礼儀であり珍しい事ではないはずだが、選手が相手コーナーにも挨拶に行って、相手のセコンドが健闘を称えるようにペットボトルの水を選手の口に直接注ぐやりとりが美しかった。

あれはちょっとした慣例になっていると友人が説明してくれたから、キックボクシング界隈ではよく見かけるのだろう。

隣で解説してくれる友人も前の試合で歯が1本折れてしまったよとニヤッとして、その見事な折れっぷりを見せてくれたが、それほどの死闘を繰り広げていても終われば爽やかなもので、切り替えが見事だなと感心させられた。なにか「挨拶と所作」のもつ感情をコントロールする底力を垣間見たようだった。

アウェイ感をゼロにする応援団

メインの試合では日本人のチャンピオンがナックモエを序盤から圧倒した。ローキックがじゃんじゃん入ってナックモエの足はみるみるうちに真っ赤になっていた。ローキックが入る度に、隣の友人がひえーっというくらいのリアクションをする。それもそのはずローキックはものすごく痛いそうだ。経験者としてはまともに見ていられないらしい。しかもローキックでのダウンは、痛みに気持ちが耐えられなくなることで、恥ずべき事とされているという。なんとも辛い話だ。

それでもナックモエの40人を超える大応援団は観客席の一角を陣取り、声援を送り続ける。ジムの生徒さんたちも来ているようで、子どもから大人まで一生懸命に応援していてなにかアットホームな雰囲気すらあった。友人曰く、例えばローキックの痛みで気持ちが折れそうなとき、応援団の存在は大きいそうだ。

たくさんの人に応援に来てもらってる手前、ローキックだけでは倒れまいという気持ちに火が付き踏ん張りが効くんですよ、と友人は教えてくれた。

チャンピオンの巧みな打撃に主導権を握られ3ラウンド目でKO寸前かと思われたナックモエは、そこから首相撲に持ち込むスタイルで粘りにねばって、応援団の盛り上がりに何度も油を注ぐ。それでもあきらかに痛んでいる足を狙って容赦ないローキックが襲う。友人も「痛くないのか…」と仕舞いには唖然としていた。そして最終5ラウンド目には、ついに形勢が逆転していたので、そのナイスファイトに会場は熱狂に達した感があった。

辛うじて判定で勝利を得たチャンピオンは「二度とこういう試合はしないように…」と語っていたが、対照的に粘りをみせたナックモエはまるで英雄のように応援団に迎えられて晴れやかだった。

応援が勝敗を左右するかどうかは別として、来日してまだ日の浅い10代のタイ選手にとっても、ジムに関わるすべての関係者にとっても全力を尽くした時間になったのは明らかだし、特にそこに通う子供たちにしてみれば、本気で戦う誰かを応援するという体験が、強さを身につけることと同じように意義深いものなのではないかと考えさせられた。

ちょっとした挨拶や振る舞いがお互いの感情に変化をもたらすのであれば、力いっぱいの応援が声を合わせた人たちの明日を変えていくのは当然のように思えてならない。

この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
声を枯らして「勝ち負け」を変えられなくても、明日は確実に変わっていく。

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