恐怖で成り立つ経済
正月休みに帰省し、故郷の同級生5人で飲んだ。いつもなら近況報告が中心なのだが、今回は“新春座談会”。テーマは地域新興、NHK、保険、防犯カメラ、ドライブレコーダー、日本経済…。討論しながら、あることに気が付いた。人間の未来を暗くしているのは恐怖心なのではないか、と。
同級生たちは口々に、お金があれば、高額な保険に加入し、防犯カメラやドライブレコーダーを設置したいと言った。
「防犯カメラがなけりゃあ、何をされるか分からんで」
「映像がありゃあ、脅(おど)されても証拠を突き付けられる」
「前の車には近付かんようにしょうる。煽(あお)り運転で訴えられるかもしれんけぇーのー」
そうでなくても厳しい生活をしているのに、なけなしのお金をまだ見ぬ不安のために費やそうとしている。
故郷の道路は見通しが良く信号も少ない。その上、歩行者や車の行き来があまりないので、事故の可能性は限りなく低い(全国的にみても、交通事故は年々減少していて2017年の交通事故死亡者数は過去最低の3,694人)。
なのに、なぜか多額の保険を掛けようとする。そこまで未来を怯え、事故は防げないものと決めてかかる必要があるのだろうか。
企業は、好況で利益を得ても、そのお金を投資に回さない。将来のために取っておきたい(内部留保)。それゆえ経済は回らない。
一方、経済的恩恵の届かない地方の人たちは保険にお金を費やしている。保険会社はそのお金で株を購入。その資金が上場企業の内部に貯まっていく。
今の経済は、恐怖によって成り立ち、恐怖に支配されているようにみえる。
人間はそんなに危なっかしい、信頼の置けない存在なのだろうか。お互いに怖がり合ってカメラで監視すべき存在、敵同士で自己防衛せざるを得ない存在なのだろうか。
人間はもっと信用できる、ハートフルな存在ではないのか。
困った時はお互い様。イエス・キリストではないが、右の頬を打たれたら左の頬を差し出す、そんな人が多くなれば、社会はもっと住みやすくなるはず。
譲り合いの精神で、交通事故を減らせないものか。
助け合いの精神で、犯罪や災害を減らせるのではないか。
利他の精神でもっと幸福度の高い社会を築けるのではないか。
気合いだ!気合いだ!
“新春座談会”を通して、人間は気持ちで負けているのではないか、と思った
恐怖に勝つ。恐怖心を克服する。
これを新年の抱負にしよう。