現地時間「ポレポレとパリパリ」に考える異国の人とのWin-Winな繋がり方
3度目のケニア訪問も3週間目に突入しました。以前よりも時が経つのが早いようです。これまでの二回はどちらかというと現地のことに慣れるのが、主体でしたが、これからはドンドンと現地ローカルの中に入って行きたいと思っています。
ポレポレとパリパリ
少しずつ現地ローカルの友人が増える中で気づいたことですが、現地では人々が生きる「アフリカンタイム」を「ポレポレ(ゆっくりゆっくり)」と言って、なかなか思うようにことが進みません。。
元々の予定が1時だったのに3時に変更になり、結局、3時に待ち合わせのはずが、5時まで待たされる…。というようなことが日常茶飯事。そもそも時間通りに生きるってどういうことなんだろう。そういう生き方が正しい…のか?と自分でもわからなくなります。
ちなみに、昔はコリアンタイムと揶揄された韓国も、留学の経験上、最近では「빨리 빨리(パリパリ:早く早く)」と時間を守る人が随分と増えているようです。国によって流れる時間が違うだけではなく、時代によっても流れる時間が違うと言うことでしょうか?
先進国の奢りか歴史の必然か
アフリカで活動していると気がつくのが、大きな文化的な違い。と、同時にその背後にある歴史。単純に時間通りに来ないというのは単純に「時間を大切にしない」とか「時間の概念がない」ということではなく、そこにはそれに至る理由があるということ。
先進国とか後進国という表現があるけれど、そこには何かより富んでいるものたちが抱く優越感と、そうでない人たちを見下すまなざしが含まれていないか…。日本では考えたことのないようなことが頭に浮かびます。
朱に交われば赤くなるなんて言葉があるけれど、自分たちが正しいと思っていたものも実は単なる色の違いなのかもしれない。自分は一体何色なのか…。それは案外他の色と交わった時に気づくのかもしれませんね。
ポイントはWin-Win
アートや特に絵画の世界をイメージするとわかりやすいけれど、自分が赤色なのか黄色なのか青色なのかは実は対して重要なことなのではない。要はそれを生かし合うパートナーを見つけること。そしてそれが全体として価値のある作品になれば、赤色であることと黄色であることとは決してぶつからない。
むしろ違いがあるからこそそれがお互いの為になる。「予定が計算できない」社会に生きている人たちはたとえ計算できない中でも、対応できる柔軟性を持っているわけだし、その柔軟性はある意味で守れないことを批判しない心の広さがあるようにも見える時がある。
逆に「予定通り動く」社会では、小さな時間のズレにも気を使うからこまめに気を遣える繊細さを持っていると言えるかもしれない。でも、大切なのは互いの違いを認めながら一緒に支え合い引き出し合うことのできるWin-Winの関係が理想なのかもしれません。