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人間関係 2017.11.23

ヴィヴィアン・マイヤーはなぜ作品を公表しなかったのか

数年前に観たドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」は傑作だった。映画館を出た後もしばらくの間、興奮冷めやらぬという状態が続いた。なにか素晴らしいものを発見してしまったような気分になって、誰かに話したくて仕方がない。その勢いは口下手な私を饒舌にすらさせていて「最近なにかいい映画みた?」と尋ねてきた職場の上司は、それこそ格好の標的になり、私はセールストークをするみたいな調子で映画の素晴らしさを売り込むほどに盛り上がっていた。

監督のジョン・マルーフはオークションハウスで、写真のネガがいっぱいに入った箱を競り落とす。研究していた地元シカゴの資料になるものが写ってないかと期待しての事だったが、いざ現像してみると求めていたものとはやや違い、持て余してネットにアップする。すると予想を上回る反響に驚かされることになる。当然、この写真を撮ったのは何者だ?ということが気になって、そこで「ヴィヴィアン・マイヤー」をネットで検索してみると、そこには死亡記事が1件。

映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』予告編

ジョン・マルークは埋もれていた彼女のネガを次々と探し出して世に公表しその価値を問う。すると瞬く間に、写真史に「ヴィヴィアン・マイヤー」という新しい名前が刻まれることになる。

しかし彼は釈然としない。無名のまま生涯を終えた謎のアマチュア写真家。ベビーシッターとして働きながら撮り続けた写真は15万枚以上。写真界を揺るがせるほどの魅力的なストリート写真を撮れる「アーティスト」としての彼女への賞賛は、今となっては届かない。なんとももどかしい気持ちになり「なぜ作品を公表しなかったのか」という疑問と同時に、この「ヴィヴィアン・マイヤー」という状況自体を少しでも理解するために、生前関りのあった人物へのインタビューを重ね、彼女を探し出そうとするドキュメンタリーがこの作品だ。

数日後、くだんの上司に感想をきかせてもらったのだが、その時のことはよく覚えている。彼女が趣味で写真を勉強していたことを知っていたので、それこそいい反応を頂戴できるかと期待していたのだが、軽く肩透かしをくらってしまったような感じで「いろいろと考えさせられたよ」と神妙な面持ちをしていたことが忘れられない。

それで、作品にはヴィヴィアン・マイヤーの「孤独」も色濃く描かれていたことに改めて気づかされた。

誰かと分かち合ったときに幸せは本物になる

「なぜ作品を公表しなかったのか?」については、いろんな解答がありえるのだろうけれど、そんな上司の表情に引っ張られた私としては、ヴィヴィアン・マイヤーには作品を発表したいという想いがずっとあったのだろうと考えている。まわりからは口を揃えて変わり者だったと評された彼女は、老いてさらに偏屈になり、いつしか仕事にも就けなくなってしまったが、その時ですらおそらく作品を発表したかったはずだ。それに希望を託していた。焦ってさえいたと思う。

それでも、きっかけを掴めずに、日々の生活から一歩踏み出せなかったのだと思わされる。私の上司もおそらく写真を撮り続けているのだろう。そして「今更発表したところで、なにも変わらないだろう」という気持ちと、相反する「やりようはあるはずだ」という思いを抱えながら日々の仕事に追われているだけなのではないのだろうか。ただ複雑なところは、作品を観てもらいたいということではなく、きっと才能を世の中に評価されたいという気持ちが強かったのだろう。それも人生がまるごと肯定されるような大きな評価を。そんな風に私には感じられた。

ちょうど貯めこんだお金を使わないまま亡くなる人にも似たところがあると思うし、それに置き換えて考えてみるとさして難解でもない気もする。ただ、表現することの「幸せ」を考える上では、やはり誰かとシェアすることが大事なことなのだとこの作品を通して改めて考えさせられた。

その上司と交わした会話の後からは、別の映画で、孤独に身を置いた主人公が書き記した「誰かと分かち合ったときに幸せは本物になる」というメモのフレーズが、なにか優先事項が書かれた職場のデスクの付箋のように頭の中に貼られているような感覚になっている。

この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
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