相手に寄り添う
最近、弟が結婚しました。それに加えて、なんと赤ちゃんまで生まれたというではありませんか。これは実に喜ばしいことなんですが、僕の胸の内はなんだかスッキリしませんでした。
小さいようで大きなギャップ
今、まさに幸せの絶頂にいるような弟。かたや遠い異国で一人旅の自分。大きなギャップからくる行き違いか、何か小さなことにいちいち引っかかります。時差を気にせず家族のLINEグループに送られてくる赤ちゃんの可愛いらしい寝顔写真も数ある「ひっかかり」のうちの1つでした。なかなか現地の環境にカチッと適応できず、思うようにいかないことがあってはモヤモヤ。疲れてグッスリ眠っている最中、送られてくる赤子の無垢な笑顔に起こされるとなんだかチクチクします。
自分の事情と相手の事情
もちろん、彼にその気はないと思うんですが、自分の器量が狭いせいもあるでしょう。なんとも言えない感情が出てきます。今思えば、なんだか、土足で自分の人生に踏み込んでくるような気がして心地よくなかったようです。結局、兄弟とはいえ、私には私の事情、彼には彼の事情があるわけで、そこに配慮もしないでドカドカと…なんたることかとひとりでプンスカしていたわけです。
真っ向からぶつからずに寄り添ってみる
でも、ふとしたことから、「なんで彼は家族に写真を共有したがるんだろう」と考えるようになりました。結婚も子供の誕生も人生の中できっとかけがえのない、喜ばしい瞬間の1つ…。もしかすると、弟は長い間、家を開けて海外を飛び回っている自分とも、その喜びを共有したかったのかもしれない。ただ純粋に、ただ無邪気に…。そう思った瞬間に何かが溶けていきました。嬉しいことがあったときには誰しも大切な人とその気持ちを分け合いたくなるものです。相手の気持ちを慮った瞬間、相手はなにも変わっていないのに何か暖かいものに包まれたようでした。相手の事情に寄り添うこと。簡単そうで、難しい。難しいようで単純な小さな歩み寄り。些細な日常の一コマですが、何か大切なものを学んだようです。