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「家庭の大切さや親子の信頼関係についても一緒に教えてほしい」足立区の性教育問題に寄せて
家族 家族 2018.05.15

「家庭の大切さや親子の信頼関係についても一緒に教えてほしい」足立区の性教育問題に寄せて

最近、中学の性教育を東京都議が「不適切」と批判したというニュースを、大手メディアが取り上げた。ツイッターなどを見ると「これ、何を問題にしてるの?」「性教育はやった方がいいんじゃない?」などといった声が多い。

少し整理しよう。ことの発端と論争の要点についてまとめておきたい。

まず、都議が批判したのは、3月5日に東京都足立区のとある中学校で行われた授業についてだ。その授業では中学3年生に対して避妊・中絶・性交についての指導が行われた。

それがまずかった。

避妊・中絶・性交は指導案(文科省作成)で「中学生に教えるにはまだ早いよ」認定されている3点セットだったからだ。

要するに、指導案では「中学生の心と体の発達は個人差があるのだよ。慎重に扱いたまえよ」となってるのに対し「今時の若者はネットとかで18禁ネタに囲まれてんだぜ!正確な情報教えないと十代の望まない妊娠が増えてしまうんだぜ!」という2つの意見が激突している、というところだ。

上記のようにまとめてみると、「別にそこまで目くじら立てんでも・・・」「現場の先生だって、生徒の現状に合わせて自主判断でやってんだろうし・・・」という話が多くなるのは当然だと思う。

ここまでがメディアでいろいろと言われているやり取り。

ここからが、メディアもスルーしてる内容。

今回の授業、一歩間違うとセクハラやパワハラになりかねなかった指導方法だったようだ。

公開授業での踏み込んだ質問

教師が生徒数名を教室の前に並べ、順々に質問していく。 その質問内容は「高校生になったら性交していいと思うかどうか?」だ。

さっきも触れたが彼らは3年生で、授業の実施は3月。一か月後には高校生だから、ほぼ「君はセックスしたい?」という質問に等しい。

ちなみに、この授業は男女別ではない。男女混合だ。しかも、普通の授業でなく、一般ピープルも参加できる公開授業で、赤の他人もうじゃうじゃいたそうだ。

それを前にして「していいと思います」とか言いたくないだろ、普通。

しかも、 生徒「いやー、良くないんじゃないんっすかねー。親にも迷惑かかるしー」 教師「え?避妊すればいーじゃん」

と、いうやりとりもあったという・・・。

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おそらく生徒たちに逆の内容を質問することで、深く考えさせるという狙いなのだろうが、果たして教師としてのモラルは大丈夫なの?と本気で心配してしまうやり取りだ。

ここで、はし休めの話をしたい。ちょっと想像してみよう。

もしあなたがある会社の社員だったとする。ある日、社員研修の中で、他の社員たちの前で社長から「君、社員同士でセックスするのはいいと思う?」と聞かれたらどうするだろうか?こんな質問をされれば、いくらうら若き新人女性社員でも「え?セクハラで訴えますよ!」と突っぱねるに違いない。

いくら「これは妊娠を防ぐための授業なのですぞ」と言われても、セクハラはセクハラだ。もうちょっと生徒たちの気持ちに立って考えることはできなかったのか。

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この指導方法に対しては、さすがの東京都教育委員会もドン引きだった。つい先日、都の教育委員会のメンバーが集まり会議を行ったのだが、メンバーの皆さん曰く、「嫌な気持ちになったも子いるかもしれませんね・・・」「生徒の自尊心が傷つくだろう、これは」と仰っていた。(皆さん、授業の録画VTRを見ていた)。

それ以外にも「この授業はほかの学校じゃできないんじゃないか?」という指摘もあった。つまり、この学校ではそれなりの成果はあったのかもしないが、教師本人の経験・能力・意志・情熱・思想にかなり左右される内容であり、全国に普及できるほど普遍性を持つ内容とは言えない、突出した授業だったということだ。(こういうことが極力起きないよう、文科省が基本的な指導案をまとめているのだが・・・)

先ほど授業が一般公開されたと述べたが、実のところ父兄よりも大学教授など教育に携わる研究者の参席が多かったそうだ。中には映像を撮っていた人もいたらしく、おそらく研究者の間ではこの授業が「なかなか踏み込んだ試みであり、いい研究資料となりうる」という扱いをされているのだろう。

保護者は子供たちに寄り添えているか

性の問題がかなりナイーブな問題だし、保護者(あるいは生徒自身も)にもさまざまな思想・信条があるだろうに、これほど特殊な指導方法を「この授業がすごい!!」的な扱いをされたら、むしろ大きな問題を引き起こしかねない。

そもそも、日本の教育はただでさえ密室で行われる秘匿性の高いものだ。それが「性」を扱うものになれば、どうなるのだろう。本当に深刻なセクハラ授業が起きた場合、その責任は誰が取るのか。授業を行った教師?その学校の校長?それともその性教育を後押しした研究者?

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さて、ここからは私の主張になる。

性教育については、さまざまな考え方があるのはしょうがないと思う。「かなり過激なことをしないと、子供たちを性の危険から守れない!」という意見もあるし、「自身の欲望を抑える自己抑制教育こそ至高の極み!」という意見もある。それぞれ一長一短あるだろう。それについて、あえてここでは議論しない。

今回の件で私が一番残念に思っているのは、授業の行われた中学校で、保護者から何の動きもないことだ。学校は親からは何のクレームもないと言っている。だが、子供の性について関心があれば、多少の苦言を呈する親が居てもいいのではないのだろうか。

学校は「私たちは子供たちのためにこんな授業を行いました!」と誇らしげに言うのかもしれない。だが、実際に子供に一番責任を持つのは親だ。親が子供の性について寄り添うことは、子供たちの心にどれだけ寄り添えているのかの表れだ。

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例えば、男性諸君ならば、思春期に18禁的なアイテムが母親にバレて気まずい思いをした人もいるのではないだろうか。中にはそれについて叱られた経験もお持ちだろう。しかし、そういった経験が「あー、やっぱこういうのは女性的には嫌なのかー」という認識に繋がるかもしれない。また、親の価値観を相続するような場にもなる。それらはやがて出会う恋人や伴侶への思いやりとも無関係ではないだろう。

逆に親が子供の性について無関心であることは、その子供にとって不幸だ。   性は楽しむだけのものではない。新しい命を生み出すという大きな働きを持っている。避妊・中絶の教育の前に、新しい命の価値がどれだけ伝わっているのかが重要な視点だ。

ある本で読んだのだが、性教育担当のある教師が、性教育を通じて子供たちが成長していくのを実感し、「だから性教育はおもしろい!」という旨のコメントをしていた。そういう瞬間は確かに教師冥利に尽きるものがあるだろう。

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だが、教師たちが喜びを感じるその瞬間には本来、親が立ち会うべきなのに、厳しい見方をすれば、彼らはその機会を親たちから奪っているのではないだろうか。   現在は親たちが「子供にどう性について教えてあげたらいいのか」と途方に暮れ、学校に丸投げしてしまうケースも多いと聞く。

親自身も性の問題について学校任せにして逃げるのではなく、自ら考える努力をすべきではなかろうか。今までは性について「自分が責任持ってれば、自由でいいじゃん」と思っていたとしても、子供のことを中心に考えた時、「もしかしたら、それはちょっと違うのかもな」と親自身の新しい発見や気づきにもなるかもしれない。

「性」は「生」に通じる。「性」への価値観がその人の「生」に輝きをもたらしている。学校での性教育では、ぜひとも男女の体の仕組みだけでなく、家庭の大切さや親子の信頼関係を強調して教えてもらいたいものだ。

この記事を書いた人 青井坂道 歴史・文学・自然・思想の好きなライター。ただいま、自己研鑽に励む日々を送ってます。 青井坂道の記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
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