地域コミュニティのパワーは、みんなの「私がやるので協力して!」という主体性の総和
「子供夏祭り」でどうでしょ
納涼祭アンケートが返ってきた。
「やったほうがいい」に〇を付けた人が42世帯。 「やらなくてもいい」は53世帯。 「納涼祭をやる場合、協力できる」として名前を記入した方が14人。
さて、どうしましょ?。本格的な納涼祭をやろうとすると、最低でも準備、本番、片付けに計3日必要となる。私は仕事の関係で本番の1日くらいしか協力できそうにない。
それもあって「是非やりましょう!」とは言いにくい。今度の役員会に諮ることになるが「町会長、あなたはどうなんだ?」と必ず聞かれる。さて、どうするかな?
ぶっちゃけ、どうしてもやりたいという気持ちはない。なぜなら、冷めたムードの中で「祭りだよ!」って威勢のいいことを言ったところで、シラけるのは目に見えている。
そもそも400世帯のうち、アンケートに回答してくれた世帯は100世帯しかいない。関心がないのだ。「協力できる」14人だって、フルタイムとは限らない。こんな少人数で一体、何ができようか。
ごくわずかの協力者に対して、観客はその十倍。盛りだくさんの中身、無料のアイスクリームを期待されても、それを提供するマンパワーが絶対的に足りない。
一つのアイデアとして、「子供夏祭り」と銘打って小規模の子供向け行事にするという手がある。地元の児童センターに協力を仰ぎ、公園ないしは会館に子供を集める。
これならば行事をやる意義もあるし、ニーズにも叶っているように思う。協力はしないが、子供を連れて参加したい(子供に参加させたい)と思う家族連れのニーズに。
やぐらを組む必要もないし、大人たちに酒を振る舞う必要もない。子供たちが喜べば、それで成功だ。
アンケートに回答していただけたのですか
テント一つをリヤカーで運び、当日朝に会場設営。昼すぎからスタートし、夕方には片づける。これなら協力者の負担も少なくて済む。
町会運動会もやらなかったから、運動会種目のような内容も盛り込んで、子供を喜ばせることに特化。手間は掛けないが、趣向はこらし、みんなで楽しむ。これでどうだ。
大人たちの批判の声が聞こえてきそう。「何やってんだ!」「こんなの町会行事として認めないぞ!」
そう言われたら、こう答えよう。「おっしゃる通りです。〇〇さんに協力していただけたら、もっと素晴らしい納涼祭ができたのかもしれないのですが」
まず、こう聞こう。「あなたはアンケートに回答していただけたのですか」
役員会で煮詰めたい。フワっとした意見にはビシっと答えるぞ。
地域コミュニティは行政とは違う
「あんなことも、こんなこともできる」→「今後、打合せする機会は1度か2度しかない。みんながそれに参加しますかねえ」
「トラックの荷台でいいから、やぐらを組みんたい」→「誰がトラックを用意しますか。レンタカー店は近くにありませんよ」
「出店があったほうがいい」→「では、あなたが買い出ししていただけますか」
言えば誰かがやってくれると思っている人が多い。地域コミュニティは行政とは違う。構成員一人ひとりに「私がやるので、協力して」という主体性が求められる。
申し訳ないけど、今の私から出せるアイデアとパワーはこれくらい。町会の行事なのだから、みんなからもアイデアとパワーを出してもらおう。みんなでやらなきゃ、祭りじゃないよ。