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ある家族の介護の風景。そして「卒・介護」した家族を見て感じたこと
家族 家族 2018.04.14

ある家族の介護の風景。そして「卒・介護」した家族を見て感じたこと

誰にも訪れる可能性のある家族の介護。特に日本の超高齢化社会では、高齢の子どもがさらに高齢な親を介護する「老々介護」の問題も浮上し、もはや他人事では済ませられない状況になっています。かくいう私の家族も、数年前まで親戚総出で祖母の介護をしていた時期がありました。田舎ではそう簡単に介護付き老人ホームの空きもないらしく、空席を待ちながら家で順番にケアをしていたため、ことあるごとに仕事と介護の両立の困難さは家族から聞いていました。

認知症を“徘徊”と言わないで

完全に介護になる前まで祖母はごく普通に生活していましたが、やがて物忘れが多くなったり、ごはんを食べたばかりなのに再び「お腹空いた」と言って食べるようになったりしたそうです。それが認知症のはじまりだったのですが、その後フラリと家からいなくなる「徘徊」が始まるようになった時は、さすがに家族も苦労したようです。

同じ家にいても四六時中見ている訳にもいかず、ふと見るといなくなっているといった状況が数回あり、町のおまわりさんのお世話になったこともあったと聞きます。ただ、徘徊という言葉のニュアンスからどうも悪いイメージがつきものですが、元々認知症を患う人にとっては、外を歩きまわる徘徊にも「目的」があるらしく、元気な時代に日常生活で行ってきたこと・場所や仕事先など、ちゃんと意味のあることをしようとするのだそうです。

にもかかわらず、ご近所からは「また一人で歩かせて…」と見られてしまいがちなので、祖母にとっても家族にとっても、非常に酷な状況だったと思います。徘徊の元々の意味は、「あてもなく歩き回ること」です。そういう点では、認知症患者さんの行動は(本来の徘徊ではないのにな……)と、いつも感じるのです。

公的なサポートで、できるだけ負担を軽く

ついに寝たきりになった後の祖母は、家族・親戚が交代でお世話をしましたが、同時にそれでは立ち行かなくなるため、早くから公的なサポートも依頼し、お手伝いしていただいたようです。なんでも、「自分たちでやらなきゃ」ではなく、「できることはやって、専門的なことや体力のいること、難しいことはプロにお任せ」ができたことは、祖母にとっても家族にとっても良かったようです。

そんな祖母でしたが、亡くなる前に最後に会いに行った時は、想像以上に小さく縮んだように見え驚きました。幼少時代、遠方から遊びに来た小さな私を心から可愛がってくれた祖母の記憶と、目の前の祖母の姿との相違に、私も戸惑いました。それでも、横たわる祖母を見おろすと私に気づいたようで、目尻に涙をにじませ喜んでいるのがその表情から伝わりました。認知症になっても孫がわかるなんて、なんと幸せな祖母だったことでしょう。みんなに見守られながら、祖母は静かに、ゆっくりと息を引き取っていきました。

その後、久々に「卒・介護」した家族や親せきたちと再会すると、みんな一段落ついた安堵感で、それぞれがやっと肩から荷を下ろし日常生活に戻っていました。集まった席でみんなが話す当時の大変だった話題も、どこか懐かしい昔話でもするような雰囲気でした。でもその安堵は祖母の過酷な介護が終わったからだけではなく、祖母を平穏な中で看取れた満足感からも多いに来ているように感じました。

介護は常に丸く収まる程現実は甘くないし、理屈で割り切れないことや色々な困難も起こるもの。家族も疲弊し、老々介護問題や介護を苦にした心中など、日々悲しいニュースを目にすることがあります。だからこそ、「卒・介護」した家族や親せきが、再び自分たちの生活を生きている姿を見ることが何より嬉しいと思います。

この記事を書いた人 おおつかけいこ 教師歴10年の経験をもつ教育者。ライティングの「ものかき」でマネージャーを務めるほか幼児教室も主宰 おおつかけいこの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
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