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いただくということ
コミュニケーション コミュニケーション 2017.07.21

いただくということ

わたしたちが、毎日の食卓で言う「いただきます」という言葉。

家族がそろい、両手を合わせて挨拶する作法は、日本らしい食事の風景です。
作物への感謝や、食事を用意してくれた人への感謝、今日も一日食べることができるということへの感謝など、私たち日本人は実に多くの感謝の意味を込めて、この言葉を使い続けてきた文化があります。

この普段何気なく使う「いただきます」ですが、「いただく」とは元々どんな意味でしょうか?

A. 頂上、または頭のてっぺんのこと
B. 大きな木を切って「いた」にしたもので、昔のまないたのこと
C. 両手を万歳すること

答えは「A」です。
漢字の「頂」には、うやうやしく上に捧げ持つという意味もあり、古来では高貴な身分の人から物をもらう際、自分の頭を下げて品物を頭上高く持ち上げることで、感謝の気持ちを表したとされています。

わたしたちの食卓においても、頭を軽く下げながら「いただきます」と言うのは、こうした儀式的な行為の名残りなのかもしれません。

いのちをいただき、つなぐ

わたしたちはまた、“いのち”そのものを食卓でいただいています。
畑で採れた野菜に果樹園の果物、家畜の肉に海で捕れた魚介類など、すべてが地球上に存在する命です。まさにそれらから命を分けてもらい、わたしたちは生き続けているのです。

ところが、スーパーで並ぶ食品を買って調理し、消費する日々は、命がどこからやってきて、この食卓に並んでいるのかを忘れさせてしまいがちです。
もう二十数年前になりますが、ある小学校で子豚を育てて最後に食べるという授業をおこなったことを題材に映画化されたことがありました。
このテーマについては、表現方法の是非や小学生たちを対象にしたことへの倫理的な問題など、当時はかなり議論されました。

たしかに、名前をつけて育て上げた豚から命を奪って食べるという行為は残酷な側面はあります。
でも本質は何かと考えてみると、便利な世の中になり、畑や海から離れた生活になった今、誰かが自分たちの代わりに命を奪ったから、生の終わりを見ることもなく食することができている事実に触れずに生きているだけだということに、無頓着になっているのかもしれません。

他の命を食べる(=いただく)ことへの感謝や敬意から、わたしたちは目をそらさずにいたいものです。
命の大切さを日常から忘れないために、感謝し続けることを最も表したものが、毎日の食卓で言う「いただきます」なのです。

この記事を書いた人 おおつかけいこ 教師歴10年の経験をもつ教育者。ライティングの「ものかき」でマネージャーを務めるほか幼児教室も主宰 おおつかけいこの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
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