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あなたの時給はいくらですか?働けど働けど、お金の味は甘くはならない。映画『苦い銭』
コミュニケーション コミュニケーション 2018.03.31

あなたの時給はいくらですか?働けど働けど、お金の味は甘くはならない。映画『苦い銭』

庶民の困難を描くのは難しい。個人の描き方が足りなければ、人間はただの統計になる。描きすぎれば、個人以上のものを表すことができない。そのバランスを保てるのは、ごく少ない監督だけだ。「苦い銭」でワン・ビン監督は再びその絶妙なバランスを達成した。私たちは、ここに登場ずる人々を個人として見つめ、同時に、彼らの困難が、私たちの世界で拡大し続けるグローバル経済からきていることを知る。                          -フィルム・コメント誌

誰が書いたのかは知らないが、映画の予告編にはそんなコメントが紹介されていた。ドキュメンタリー映画であるにも関わらずヴェネチア国際映画で異例の「脚本賞」を受賞したという。

前作「収容病棟」は、雲南省の精神病院に収容されている患者たちの生活を捉えたドキュメンタリーだった。これは上映時間237分とかなりの長編だ。そもそもワン・ビン監督のデビュー作は「鉄西区」は545分。要するに9時間越えの「超」長編ドキュメンタリーであり、それに比べると今回の「苦い銭」は163分だと聞いて、うわっかなりライトだな、とアンカリング効果で一気にハードルが下がったような気がした…が、やはりちょっと長かった。

“彼ら”は世界のいたるところに存在する“私たち”

「苦い銭」は浙江省湖州にある縫製工場の街にやってくる出稼ぎ労働者たちの群像劇であり、パンフレットに紹介されているように「14億が生きる巨大中国の片隅で、1元の金に一喜一憂する彼からの人生を想う。そして気づく。“彼ら”は世界のいたるところに存在する“私たち”。」という紹介文の通りの作品だったと思う。

もっとショッキングなものを目撃することになるのではないかと身構えていた分、正直ちょっと拍子抜けした。またヴェネチアで脚本賞をとってるというからには、劇的なラストに向けて伏線が回収されていくのかとも思ったが、なにか粛々と終わっていったなという印象すら受けた。

過酷な労働といっても自分の常識の範囲でそれは行われていたし、程度の違いはあれど日本で稼ぐ「円」という銭だって、中にはそれ以上に苦みの強いものだってあるはずだ。

ワン・ビンのカメラは咳払いをしない

163分をもやもや消化しきれていないところに村上賢司監督が颯爽とステージに登壇して「苦い銭」を解説してくれたおかげで、いきなり消化が促進された気がする。

まず前作でも気になっていたことだが撮影者は透明人間じゃないかなと思ってしまうくらい「その場」に溶け込んでいる。被写体はカメラの存在を忘れているのか、もしくはカメラが隠されているのか。

そのマジックのタネはおそらく「時間」なのだと思う。

99年頃に監督はデジタルの民生機でも劇場のスクリーンに耐えうる画質で撮ることができると気づいたそうだ。そもそもワン・ビン監督は「デジタル映画」の作家なのである。

「長回し」にそれほどの金銭的な負担はかからないデジタルの強みにより、回しっぱなしにして「奇跡的な瞬間」を待ち続けるというスタイルを確立したこと。それがおそらく透明人間になるための大事なポイントだったのではないかと思う。

ジェットカットに切り捨てられていくもの

ただ、とにかく長く撮ってそれを編集しているのに、それでもやはり長い。ユーチューバーが好んで使う流行の編集方法「ジェットカット」のように不要な情報を極限まで徹底的に省くなんてことはしないのかな…と思ってしまうが、要するテンポがよく無駄のないYouTube動画やテレビ番組と違って、「映画」というのはもっと自由でよいものなのだ。起伏が激しく飽きさせない作り方をあえて選択しなくてもいいのだ。

あまりに編集しすぎてしまい、その過程で切り捨てられてしまう言い淀みや沈黙、繰り返しや「えー」「あのー」のような間投詞にも、いや、そこにこそ人間としての情感は漂っているはずだ。これに気づいた作家たちの作品はメインストリームに反発して、それを取りこぼすまいと長くなっていくのではないだろうか。そんなことを村上監督は語ってくれた。

なるほどなとスッキリした。以前カウンセリングを勉強していた際に「逐語記録」をやったことがある。クライアントとのやりとりを録音してすべて文字に起こして、自分がどう関わり、どんなふうに応答しているのかを振り返って検討するというものだ。

一言一句漏らさないのはもちろんの事、沈黙や間投詞、語調などの非言語的なことも記述していくので、非常に骨が折れる。なにより時間がかかる。ただ、とても勉強になったことは覚えている。

要するに自分はこの作品に「分かりやすさ」や「刺激」だったりをどこかで求めていて、振り返ってみると、あの出稼ぎ労働者たちのきらきらと光る時間を受け取らなかったことで、なんとも大損をしたような気持になった。

ワン・ビン監督の時給は…

ワン・ビン監督はあるインタビューで「その人物の人生の経験をより理解したい、その人と共有しあいたいと思うのです」と、それが映画を撮る原動力になっていると語っていた。

そういう思想をもっているからこそ、被写体に長く向き合うことができるし、長く寄り添い続けるから、まるでカメラを感じさせない映画が撮れるんだろうなと思う。

時給は16元か18元だと苦い表情をする登場人物がいたが、そんな人たちにべったり張り付いて存在が消えてしまうくらいに長回しで撮り続けながらも、かなりの部分を編集で捨ててしまうワン・ビン監督の稼ぎは時給計算するとどれくらいになるのだろうか。

長く撮ればとるほど時給はさがると考える事もできるが、それでもおそらく損得勘定なんて忘れて、誰かの人生を理解したり共有しあうために時間を注ぎ込んでいるのだから、そうやって稼ぐ銭は、案外ほんのり甘いような気がしてしまう。

この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
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