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それでも南方熊楠に会いに行く「人の交わりにも季節あり」知音②
人間関係 2018.02.06

それでも南方熊楠に会いに行く「人の交わりにも季節あり」知音②

琴の名人として名を馳せた「伯牙」は、自分の奏でる曲を、その心まで理解してくれるのは「鍾子期」ただ一人だと考えていた。そして「鍾子期」が亡くなると彼を弔う曲を奏でた後、弦を絶って、生涯2度と琴を手にしなかったという。そんな逸話からうまれた故事成語が「知音」である。

知音というのは「真の理解者」であり、自身のアイデンティティに深く関り、なにより人生において大切にしている事を、あたかも同じ目線で分かっていてくれる、そんな掛け替えのない存在だ。

自分が「知音」と聞いて真っ先に頭に浮かぶのは、中国革命の父「孫文」と知の巨人「南方熊楠」の関係である。革命に失敗して懸賞金付きのお尋ね者になりロンドンに亡命した孫文は、大英博物館の閲覧室で書籍を読み漁り研究に没頭していた頃の南方熊楠と出会い意気投合。

それもそのはず、どちらも東洋の復権を胸に抱いていたわけで、それからというもの三日にあけず顔を合わせ語り合い交友を深めたそうだ。

やがて孫文が先にロンドンを離れることになり、孫文は別れ際、南方熊楠の日記とサイン帳に「海外逢知音(海外にて知音と逢う)」と記して、異国の地で心から感化し合える人物に出会えた喜びを伝えている。

特別な計らいによって巡り合ったとしても

二人の交友は続き、日本に滞在していた孫文は、帰国した南方熊楠を和歌山に訪ね、再会を果たしている。

その後、孫文は辛亥革命を成功させて共和国「中華民国」の臨時大統領となり、南方熊楠は日本民俗学の開拓者柳田國男に「日本人の可能性の極限だ」と言わしめるほどに森羅万象に通じて学びを深めていった。

日本で初めて自然保護運動を展開した事でも知られ、政・官、学およびジャーナリズムに対して活発な働きかけを行い、国策に抵抗して多くの鎮守の森を守ったというその行動力も型破りである。

和歌山で再会してからさらに十数年後、国賓として来日した孫文は、改めて南方熊楠に会おうと試みるが、しかし結局その申し出を断られてしまう形で、再び顔を合わせる事は叶わず、二人は疎遠になっていく。お互い積もる話がどれだけあっただろうかと想像してみると、なんとも言い難い歯がゆさを覚える。

さよならだけが人生か

孫文の没後、なぜ申し出を断ったのかについて南方熊楠が記したものの中に「人の交わりにも季節あり」という一文がある。なるほど、寂しいけれど納得感がある。含みもあって非常に考えされられる表現である。

なに一つ不都合、不義理な事もなく、昔のように語り合いたい気持ちはあっても、人の縁というものを変わりゆく季節として受け入れるような心構えでいることも自然なことなのかもしれない。それは特別な計らいで巡り合ったとしか思えない二人であっても同じことなのだ。

人生を歩む中で、自らの手で人間関係に線引きをし、取捨選択をしているような後ろめたさが付き物だとすればそれは寂しいものだ。

井伏鱒二が訳した詩に「この杯を受けてくれ/どうぞなみなみ注がしておくれ/花に嵐のたとえもあるぞ/さよならだけが人生だ」とあるが、本当にそうだなとしみじみ思いながらも、ただ季節が巡るというのであれば救いがある。

もう一度会いたい人がいる。叶わなくてもそれは季節のせいかもしれないし、長い冬を越えて、またふと縁が近くなることもあるのだと考えると、気持ちが少なからず和らいでいくのを感じないだろうか。

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この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>>
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