失われていく道端の小さくて粘っこいコミュニティ~都市化の荒波の中で~
ケニア生活も長いもので、昨年、頭を悩まされたチャリティマラソンが2週間後にはやってくるそうです。
なぜ頭を悩まされたかというと、チャリティマラソンのように大幅に道を使うイベントが行われると朝から大渋滞。行きたいところに行け無くなってしまうのです。
というわけで、肌寒い雨季の中、ケニアで出会ったコミュニティについて少し書いてみます。
コミュニティを生み出す「場」の存在
コミュニティ自体は人と人とのつながりを意味するので、特定の場所が必ずしも必要ではありません。しかし、逆にある特定の「場」が人の集まり、つながりを強化し、助けるということは頻繁に起こります。
実は私の住んでいる地域はナイロビの中でも高地に位置し、Westlandsと呼ばれ気候がヨーロッパに近いため入植当時は白人の居住地だったといいます。
やはりその名残か、かつてのように白人が道を歩いている姿はほとんど見ませんが、今ではビジネスを中心に発展が進み、ここ5年でナイロビの中心地と呼ばれるタウンという地域よりも発展するのではないかと言われています。
そんな街自体も人々のつながりを生み出す揺籃の地となります。その「場」は時代と共に変化しその「場」の変化と共にそこで生まれる人間関係も少しずつ、時には劇的に変化していきます。
人と人が触れ合う「場」
そんなWestlandsで先日、小さな変化がありました。小さなローカルマーケットがその歴史に幕を閉じたのです。自分も過去二回のケニア渡航では随分とお世話になっていたので、非常にがっかりというか、小さな衝撃を受けました。
かつては手作りの職人さんたちや、その職人さんたちに代わって小売業を営む人たちが、200弱集まっていたマーケットでした。
軽く見積もっても300~500人ぐらいが集まるその「場」には、近くにある大きな商業施設に入っているお土産物屋さんにはない、独特の活気と、人と人とのいい意味での粘っこい「つながり」、ものを中心としたやり取りよりも、人と人との目に見えない「つながり」を感じることができました。
もちろん、ポジティブな側面ばかりではなく、実際には、外国人には安い物品を高額で吹っ掛けてきたり、いらないものを粘って売りつけようとしてきたりする面倒な人たちもいましたが、今思えばそういう人たちも、自分の生活に必死だったのかなと思うとなんだかほっこりするのです。
そこにはそこで買い物する人、販売する人、そしてその販売する人たちの職を世話する人たち、そしてその周辺にはそこで買い物をする人たち、販売する人たち、食を世話する人たちの足となり、タウンから、そしてまた別の場所からそこへ人を連れてくるマタトゥ(ケニアのローカルバス)と、本当に多様な人々のふれあいの「場」となっていたのです。
無機質な発展か血の通ったスローライフか
今回のマーケットの廃止は話し合いによる合議の上で決められたものというよりも、長らく都市機能の課題となってきた交通インフラの不整備を改善するための公共事業の一環、路上拡張の一角として行われました。
国として発展するためにはきっと必要なことだったんでしょう。でも、その小さな道端で行われていた小さなマーケットの心の通ったなんだか粘っこい「つながり」が今では恋しいような気がします。
もちろん、約束の時間に来ない、全部一点ものなのでほしい商品がほしい分だけ手に入らない、時にはふっかけられて必要ないものを買わされる時もあります。でも、そういったこと一つ一つも、人と人の触れ合いを楽しむ良い思い出として残っています。
もちろん、何か大きな変化や発展には犠牲や失うものはつきもの。決してすべてを包括した前進ができないことも100も承知。でも、時々、日本ではもうほとんど失われてしまった面倒だけれども人と人とがでこを突き合わせて、つばを掛け合う少し湿度のある関係が懐かしくもなるものです。
まだ、日本の梅雨には早いですが、ケニアの雨季に合わせて少しセンチメンタルになっているようです。