都市の息づかい
ケニヤ、ナイロビの12月は夏の始まりです。ほぼ年中変わらないナイロビの気温も心なしか日中は普段よりも日差しが強いせいか高くなっているように感じます。湿度は低いので日陰は随分と涼しいんですが、日向は身を焼くような暑さです。先日、2、3年前ぐらいまで同じ事務所で仕事をしていたという先輩と話しながらナイロビという都市の変化に気づきました。
雨後の筍のごとく
僕の住んでいるところはナイロビ市内でも少し落ち着いた所得の安定した人たちの住む地域なんですが、最近は色々な規模、そして形のビルがニョキニョキとでできています。まさに雨後の筍のごとく。しかも、最近はWiFiの完備も随分され、携帯も3Gから4Gの時代へ。見えるところだけでなく、見えないところの発展が目まぐるしく起きています。携帯電話の普及は7割を超え、スマホも3割から4割ほどの普及率と発展具合はアフリカの中でも随一だそうです。
インフラの整備は突然に
2015年、ケニヤにバックグラウンドをもつオバマ前アメリカ大統領のケニヤ訪問に際して、随分と沢山の道路が舗装されたと言います。先輩がケニヤにいた時はその舗装工事を必死にやっていた頃だそうで、当時は事務所の前の道も舗装されていない土道路だったそう。現在はバッチリ舗装されてその当時の面影は市内の都市部にいる限り見ることはできません。しかも、最近、近場の道路には信号まで出来ました。突然出来た信号にためらう人々の姿も見えます。結局、都市の変化と一言に言っても、重要なのは人なんだなと。
人々の織りなす調和
ところで、結局、ハコがどんなに発達してもそのハコを利用するのはそのに住む人々なわけです。突如として現れた都市化の象徴のような信号。使い慣れた自分たちからするとなんてことはないですが、初めて利用する人からすると一大事。思った以上に都市化は人々の心性にも影響を与えるのかなと思います。規則を守り、自分の感情や一時的な自分の思い以上に2度と会わなかもしれないすれ違う人たちにも最低限の礼儀を払う。これって当たり前のように考えてしまいがちだけれど、都市化によって日本人が学んで来たものなのかもしれないと思いました。日本のように発展した国では今はなき…失われてしまった絆や文化を哀れむ声も聞かれますが、きっとその発展の中で何を得たのかを知ることも大事なのかもしれないですね。