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「振り返れば5年以上」脳がしびれるほど美味しいカレーができるまでの長い道のり
コミュニケーション コミュニケーション 2018.05.21

「振り返れば5年以上」脳がしびれるほど美味しいカレーができるまでの長い道のり

今でもふと頭をよぎる衝撃的な「食体験」がある。あれは一体なんだったのか。なんとも腑に落ちない。

いや、カレーライスをすくい上げるスプーンが止まらなかったわけだから、ある意味でそれは胃の腑に勢いよく落ちていったのだろうけれど。しかし後にも先にもこんなことはない。大げさな言い回しをすればカレーライスが「強襲」してきたというくらいの鮮烈さだった。

いくら頬張っても味覚が散らかることもなく、ストレートがガードをことごとくすり抜けて顎をもっていくような一方的な展開だった。誰か訳を説明してほしい。思い出すたびにモヤモヤしていた。

そのカレーを食べたのは去年9月。作ったのは20代の「軽度知的障がい者」で構成されたグループの友人たちである。

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ボランティアに参加する意味が分からなくなっていく

軽度知的障がい者のグループのボランティアを手伝わないかと知り合いから声がかかり、それがきっかけで関わることになった。もう7年目になる。月に一度、集まりに顔を出し、10数名のメンバーと遊びに出かけるのだ。そして年に一度、宿泊を前提に遠出をする。

もちろん個人差はあるけれど、軽度ということもあり割としっかりしているから別に私がいてもいなくてもたいして支障はなく、実際に去年は数回しか参加しなかった。距離ができ始めていることについて自問すると「役に立っているのかどうか微妙だよな」という心の声がいつも返ってきた。

せっかく関わるのだから貢献したいという思いはある。しかし専門的な資格も知識も私にはない。空回りでいたたまれなくなる。ただ遠方にいく際は車で移動するから、そんな時には8人乗りの車を持っている私へここぞとばかりにオファーがあるし、こちらもそれこそ歯車がかみ合うような手応えがある。

まあなんにしても月一というなかなかの頻度で会っていた時期もあったから親睦は深まりつつも、おそらくお互いについて分かっていないことはまだ多い。

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その日は渋谷で男性たちをピックアップして高速に乗り、そのまま日光に向かった。BGMは後部座席から爆音で流れる声優がパーソナリティを担当するラジオの録音。同乗者2人の趣味が近く、ラジオをベースに楽しそうに話し続けている。予備知識があれば楽しめるのかもしれないが、理解がなかなか追い付かず、入り込んでいけない。

また彼らのうち数名は鉄道について異常に熟知している。ナビだよりにアクセルを踏んで「ここどこなんだ」と、とりあえず目的地に向かっているだけの私に比べて、頭上をくぐり抜けていった高架橋がどの鉄道なのかも把握しているのだから驚かされる。

モーター音やインバーター音を聞き分けるのもお手のもの。電車で出かけるときにはそんな話題になることもある。たしかにあれは類まれなるクールなサウンドなのだろうけど、YouTubeでたまにチェックしてはみるものの、やはり上級者向けで、なかなかはまり込めない。

1人は窓の外をずっと眺めているし、別の1人はこちらが後部座席を振り向くたびに目力に満ちた視線にぶつかるからきっとドライバー目線で乗り物を楽しんでいるのだろうか。他はずっと寝ている。

助手席に乗っているスタッフは「ロケーションに合った音楽を聴きたい…」と苦しそうだったが、まあ自分たちのための旅行ではないわけだし「誰に合わせるのが正解なのか」考えを巡らせても答えが出ない。

このボランティアに関わりながら、近頃はふいに「なにが正解なのか」に足を取られることが増えてきた。

そんな調子だったから観光地がいい息継ぎになった。流れるラジオの録音の間に、東照宮をひとしきり巡って、ラジオ、金谷ホテルベーカリー工場直売店で半額のパンを買って食べつつ、ラジオ、そして日光猿軍団の劇場へ、さらにラジオという具合に、宿泊施設までそれは続いた。そして到着するや否や夕飯の準備を始めた。

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みんなでカレーをつくる

宿泊施設内にある飯ごう炊さん場でカレーを作るということだったが「手伝わなくていいよ」とのことで、部屋で少し仮眠をとらせてもらうことにした。メンバーたちだけで作ろうという事らしい。

林間学校で使う大部屋に一人で寝るというのも不思議な気分だったが、何気にハードスケジュールだったからか、ごろんと寝ころび、畳の匂いを嗅いだ瞬間に眠りに落ちていた。

1時間後、フラフラと飯ごう炊さん場に向かうと、まあ時間はかかりそうだがカレーはできそうだなという進み具合だった。「手伝わなくていい」という事だったから、団扇でパタパタ釜を煽って、薪のはぜる音を聞きながら、みんなのカレー作りを眺める。

どうやら2班に分かれて、それぞれ班長に指名された人を中心に取り組んでいるらしい。虫がどうしても苦手でひたすらその接近から逃げている女性以外は、共同作業を着々と進めている様子だった。

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詳しい経緯は知らないが、ここ数年の間に婚姻関係になったカップルもいたりして、それぞれ少しずつだけれど、グループの考える「自立」に向かって状況は変化しているんだなと、なんだか不思議な気分になった。出会った頃はカレーをこんな風に自分たちだけで作れるとは思っていなかった気がする。

私も肩の力が抜けてきたのか、例えば、四六時中メールを送ってくる質問魔とのやりとりもずいぶんと減った。

5年くらい前は、収集した私の情報を元に、そのうちネット上に私を紹介するウィキペディア的なページがいきなり現れるんじゃないかというくらいの勢いでヒアリングがかかっていた。それにこまめに返信をし続けた時期があったのが懐かしい。

ただもしそんなページがあったとしたら、可能であれば、彼によって編集された私の情報に触れてみたいとたまに思う事がある。どう見えているのかを知りたいのだ。

そんなメンバーたちに「どうですかー」と、たまに声をかけてるうちに、カレーはなんとか出来上がり、炊けたお米と一緒にお皿によそっていく。そして、その瞬間はやってきた。カレーが異常に美味しかったのだ。もはや「外で食べるカレーは美味しいな」というレベルではない。それこそ狐に化かされたような心持ちになった。

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あいだにわかち持たれたもの

このカレーの味について今まで訳が分からずモヤモヤとしていたが、最近「〈弱いロボット〉の思考」(岡田美智男著)に気になるエピソードが紹介されていた。もしかするとその体験を理解するヒントがここにあるのかもしれない。

肢体不自由で、言葉もほとんど話せない一人の子どもが周りの人と一緒に「お料理をつくる」というエピソードである。

「Kちゃん、今日は何たべる?」「……」、「じゃあ、カレーにしようか。Kちゃん、好きだもんね」「えーと、まずはジャガイモからかな……」と、お母さんはKちゃんにたずねる。「うん」と「ううん」の意思表示もままならない。でも、子どものわずかな表情の変化を頼りに、「じゃ、どうする?」「つぎは玉ねぎを切ろうか……」と、それに続く手順を探っていく。「そろそろ、ルーをいれようね。うーん、まだ早いかな?もうちょっと待ってみる?」「じゃ、ちょっと休憩しようか……」と、こうしたやりとりの末に、とても美味しいカレーが完成してしまうのだ。

「とても美味しいカレー」が完成したという。もちろん私のケースとは違う部分も多い。ただこの美味しいカレーを作り上げる能力はどこにあったのか?ということについての推測がとても考えさせられるものだった。

では、この美味しいカレーを作り上げる能力はどこにあったのだろうと考えてみるとおもしろい。それはお母さんのなかにあったともいえないし、子どもの一方的な能力ととらえるにも無理がある。それは、おかあさんと子どもとのあいだにわかち持たれたものとしてあるのではないか、というわけである。

なるほど。あのカレーライスは「あいだにわかち持たれたもの」によって美味しく感じられたのかもしれない。仮にもしそうであれば、今までの時間は間違いではなかった。みんなと私の間には、わかち持たれているなにかが確実にある。そう信じさせてくれるのに十分な味だった。

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バルミューダのトースターは、土砂降りのなかバーベキューで焼いた食パンが「なんだこれ」ってくらい美味しかったという開発者の体験を再現しようと作られたという。同じようにあのカレーライスの味を再現することはできないだろうか。「空腹は最高のスパイス」とは言うけども、断食明けだとしても、あの衝撃を再現できるとは思えない。そういうシンプルなものではなさそうだ。

相変わらずグループの役に立てているかは分からないが、「わかち持たれたもの」という可能性に触れて、自分にも関わりようがあるのではないかと、今は少しだけ前向きに考えられるようになった。また彼らとどこでもいいから遊びにいきたい。これからもそんな時間を過ごせるようにささやかながら努力をし続けよう。

この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
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