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手のひらに託されるもの
家族

手のひらに託されるもの

朝、リビングに行くと、小2の甥っ子が先に起きていた。鼻血が止まらないようで、ティッシュで鼻を押さえながら、緊張でなのか不安でなのか背筋をピンと伸ばしてちょこんとソファーに座っている。大丈夫か―、と挨拶。
そういえば自分も子供の頃、鼻血が止まらないとやけに心細くなったような気がする。懐かしいのと同時に、昨日立ち寄った献血ルームでは血の勢いが弱々しくて、看護師をてこずらせた事が思い出されて少し情けなくなった。貧血についての注意事項もことさらに丁寧に説明してくれていた気がする。まあ、なんにしても甥には逞しく育ってほしい。

受け継がれていくもの

そう。あれは1999年だったか。「俺の屍を越えていけ」というタイトルのゲームソフトが発売された。実際にプレーすることはなかったが、とにかくCMが秀逸で記憶に残っている。祖父のお葬式の日、学ランを着た孫が、おじいさんは最期になんて?と父親に尋ねると、岸部一徳演じる父親が「俺の屍を越えていけだって」と奇をてらった遺言に苦笑して佇む。その独特な怪しい曲者感がなんともたまらない。そして「ま、生きろってことさ」と言いながらゆっくり歩きだす。そんなCMだった。

もちろんゲームも人気があったようで、その後、時間をおいて続編が出た。それに伴い12年後、また15年後にCMも続編が作成された。特筆すべきは同じキャストで「その後」が演じられていたことだ。それにより、まるである家族の関係の変化をテーマに12年間、断続的に同じ役者で撮り続けた名作、リチャード・リンクレイター監督の「6才のボクが、大人になるまで。」のような、時間に祝福された名CMになった。さらに15年の時の流れが15秒に満たない短いCM枠に濃縮されている事も評価されるべき素晴らしいポイントだと思う。

3作目では、すっかり白髪になった岸部一徳が海辺で息子に語っているところが映される。うちには先祖代々からのお宝なんてのはないが「俺が託され、お前たちに託していくものがある」と言った後、唐突にこの作品のタイトルを渾身の力で海に叫ぶ。そして急にギアを切り替えて「まあ、熱い想いってやつだ」とヘラヘラ笑い、愛してるぞ、と息子にハイタッチをしてスタスタその場を離れていく。ややサブカル的なシーンだと感じるが、15年前に亡くなった祖父の遺言を模したのであれば、こんなにも力強く託したのかと枠外に想像が広がっていく。(探してみると3作ともYouTubeでみつけられた)

時には騒がしく

例えば、うちには先祖から脈々と途切れずに託されてきたものなど思い浮かばないが、親から受け継ぐべき想いのなんたるかは、ぼんやりとだが分かってきた気がする。そして、ソファーにちょこんと座る甥っ子にも、ささやかな私たち一家から、いつか何かを託される日がくるのだろうか。そんな事を考えてみた。まあどんなに時代が変わっても、人にとって大切なものが変わらずにあるはずだ。残った骨の事も大事かもしれないけれど、そんなことよりもやはり熱い血潮を受け継いでもらいたいのだ。その細い血管が清濁をあわせ呑む日がきても、その中で一筋はっきりと流れていられたらいい。

この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>>