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「幸福になる100通りの方法」に感じる夫婦間で感謝し合う大切さ
家族 家族 2017.06.06

「幸福になる100通りの方法」に感じる夫婦間で感謝し合う大切さ

私はさだまさしの歌が好きだ。

さだまさしの全盛期が1970年代~1980年代とすると私の年齢とかなりズレがある。もちろん小中高で誰もさだまさしの歌を聞く友達はいなかったし、話をする者もいなかった。

それでもさだまさしの歌が好きになった。

それは、ドライブ中常ににさだまさしの歌を流していた父の影響が大きいかもしれない。

ただ理由はそれだけではない。

恋や愛を歌った歌というのは、若さを感じるような将来の不安も感じさせないカラッとした歌か、若さゆえの悲恋といった歌が多い。それもまあ悪くはない。深いことは考えず愛や恋に焦がれたい時期や時間というものもある。

対して、さだまさしの歌にはそんなカラッとしたストレートな歌もあるものの、妙に生々しい現実や教訓を突きつけてくる歌も多い。「恋愛症候群」や「遥かなるクリスマス」「関白宣言」「関白失脚」などはその典型だろうし「二軍選手」などは涙無くして聞けないなんとも言えない切なさと、でも頑張ろう!と思わされる励ましも感じる。

話がそれた。

そんなさだまさしの歌の中に私の特に好きな歌がある。それが。

「幸福になる100通りの方法」という歌だ。

人はなぜ夫婦になろうとするのか? それはやはり愛し合っているからだ。恋愛だけではダメなのか?なんて心にも無いことを考えてみるが、同性愛者のカップルが結婚を認めて欲しい!と訴えるのをみると、結婚、夫婦、というのは何か特別な恋愛を超えたもののようだ。

そんな恋愛を超えた愛を育むために夫婦になったはずの二人。だがその愛が時間とともに薄れていく。この歌は、そんな状況を悲観した夫の気持ちと自分に何が足りなかったのかを悟る歌だ。幸せだったはずの結婚生活、それがなぜくすんでしまったのか。

親切にもこの歌は、一番最初に結論を教えてくれる。

「そして愛と感謝とが同じものだと気づいた、そしたらとても幸せになった、しあわせはすぐ近くにいた」

この歌の主人公である夫が失っていたもの。それは妻に対する感謝であったわけだ。また歌詞にはこういうくだりもある。

「なのに人は何故しあわせに思い上がってしまうのだろう」

私が結婚したのは3年ほど前だ。「3年目の浮気」という歌もあるが、3年というのは夫婦がお互いに慣れてしまうタイミングなのかもしれない。妻が料理を作ってくれること、掃除してくれること、大したことない体調不良を心配してくれること、そんな小さな事を当たり前にしてしまう、3年とはそんな期間だ。

そんな小さな気配りや思いやりに慣れてしまった時何が起こるかと言えば、人は感謝しなくなるのだ。相手の欠点や気に触る行動にばかり目が行き、相手の思いやりは当たり前のものとして無視してしまう。そんな関係が続けば愛がくすんでも当然と言ったところだろう。

誰かの受け売りだが「家庭とは車と一緒だ」と言った人がいた。車を快適に動かし続けるには定期的なメンテナンスや掃除、修理が必要だ。もちろんメンテナンスはこまめにやっていた方が故障は少なくなる。丁寧な運転やこまめなメンテナンスを心がけていれば長く快適に乗れるというわけだが、家庭も一緒だという話だ。

仕事で稼ぐ給料はガソリンだと思うとわかりやすい、燃料はあくまでも動くために必要なだけだ。その車が快適に走り続けるためにはこまめなメンテナンスは欠かせない。家庭の場合メンテナンスとはまさに感謝することだ。

「しあわせになる方法なんて100通りもある、ありがとうと言えば向こうから近づいてくるのに」

これは歌詞の一番大事なところだ、しあわせとは夫婦お互いの努力あってこそだ。その努力を怠った時それは瞬く間にくすんでしまう。そして努力は相手に押し付けるものではない。この歌は「ありがとうと言えば向こうから近づいてくるのに」というくだりでそれを表現している。

自分自身が相手の思いやりに対して感謝し言葉に表現すること、そんな小さな努力をするだけで相手が近づいてくる、しあわせになれるのだ。

結婚とは皆幸せを夢見てするものだと思う。ただそれは無条件で与えられるものではなく、必ず努力が必要だ。これは「恋愛症候群」からの受け売りだが、求め続けるものが「恋」奪うのが「恋」であり、与え続けるのが「愛」なのだ。

愛とは与え続けるもの。お互いを思いやる小さな努力の積み重ねこそ愛というわけだ。

幸いこの歌のおかげで努力を怠らなかった私は、3年経った今でも妻との関係は良好だ。ただ、良好という表現は本来あまり適切ではない。本当はお互い変わらず愛しあっている、とか言いたいのだがいかんせん日本人特有の気恥ずかしさであまり大きな声で言えない。言葉を濁さないと愛してるも言えないのが日本人のさがなのだろうか。

さて、精一杯のろけたわけだが、失敗もたくさんもある。ふとした瞬間に自分本位に妻を責めていた自分に気づかされたり、スマホばかりいじって妻の話を聞いていなかったり、妻の苦労に気づいてあげられなかったり。気づけなければ感謝もできないわけだ。しかしそう言った失敗から学んで改善していくこともまた努力だ。

さて、さだまさしの歌を聴いたせいか妙に感傷にひたった文章になった。あまり実践的な文章にはならなかったが、一度この歌を聴いてみてほしい。そしてぜひ夫でも妻でも、感謝し「ありがとう」と伝える、そんな努力をしてみてほしいと思う。

この記事を書いた人 にゃっぱ 最近父親になったばかりのフリーのシステムエンジニア、チーム作りと子育ての記事を中心に執筆しています。その時のノリで記事ごとに語尾が変わったりしする人です。 にゃっぱの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
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