コミュニティ チーム 家族 コミュニケーション 寄稿記事/取材依頼/お問い合わせ
とにかく99分間まぶたを閉じて、音声ガイドで映画「追憶」を鑑賞して気づいた事
コミュニケーション コミュニケーション 2018.02.28

とにかく99分間まぶたを閉じて、音声ガイドで映画「追憶」を鑑賞して気づいた事

久しぶりにTSUTAYAに行った。甥っ子が仮面ライダーを見たいと言い出した流れで付き添う事になって、せっかく来たのだからと自分も何んとなしにDVDを数本レンタルした。

1本目は河瀨直美監督の「光」。この作品はカンヌ国際映画祭「エキュメニカル審査員賞」を受賞している。エキュメニカル賞というのはプロテスタントとカトリック教会の国際映画組織「SIGNIS and INTERFILM」の審査員により「人間の内面を豊かに描いた作品に」という観点で選考されるそうだ。

「光」の舞台挨拶で「河瀨さんはなんでこんなにカンヌにかわいがられるの?」と樹木希林に問われるくらい、河瀨直美監督は確かにカンヌとの相性がいい印象がある。「萌の朱雀」で新人監督賞を史上最年少(27歳)で受賞し、その後もカンヌ関係の賞をテンポよく獲っている。

それでも日本ではメジャーな監督とは言えないくらいの認知度ではないだろうか。以前「萌の朱雀」を観たが、当時高校生だったからか正直どの部分が世界に評価されているのかいまいち腑に落ちなかった気がする。今観ると違うのだろうか。

それに比べると「光」はストレートに届く作品だった。たくさんの人に観てもらうのだ、という強い意志が感じられるくらいに。

映画「光」公式サイト

映画を描写する人「ディスクライバー」

「光」がフォーカスするのは音声ガイド制作者「ディスクライバー」という職業についてだ。視力に障害のある人が映画をさらに楽しめるよう、登場人物の動きや風景などを描写し、ナレーションの原稿を書く仕事である。彼らによって提供される音声ガイドにより、映画である以上欠かすことのできない「映像描写」は言葉で補われ、イメージを膨らませてくれる。

ただ個人的な感覚では10年くらい前からDVDを借りるとたまに「日本語音声ガイド付きで鑑賞する」という選択肢が提示されるものがあるなというくらいのぼんやりとした認識で、基本的にスルーしていた。

ところがどっこい今回は「光」を鑑賞した後である。もう1本借りていた「追憶」のDVDを躊躇なく音声ガイドで観ることにした。ここで通常モードで鑑賞するのはなんとも抜けた話だなというのもあったが、映画のオープニングで風景が音声で描写されると一気に引き込まれて、耳を傾けて真剣に鑑賞したい気持ちが高まり、眉間にしわが寄るくらいにぐっと目を瞑った。

参考までに「追憶」の一部分の音声ガイドを以下に書き出してみる。
カギ括弧「」は台詞。
括弧()には耳に入る台詞以外の情報もまとめて書き足してみた。

映画「追憶」二人の25年ぶりの再会シーン(20:57→22:35)

スーツ姿の篤が桜並木を歩いてくる
(歩調はやや速く、響く足音)
空を覆い尽くすほど満開の桜

(場面が切り替わりラーメン屋の店内、10人くらいの客がいるのか活気のある雰囲気、麺をすする音、器にあたるレンゲ、持ち上げた器を机に置く音などが終始聞こえる)

「大将ラーメン一つ!」

篤がメンマをより分けながらラーメンを食べている

「はいよ!」

(ドアが開く音。誰かが入ってくる)
「あーどうもお久しぶりです」
「中華そば一つ」
「中華そば一つで、はい」

智の声「トイレは?」
「あ、奥に、左手の奥になります」

後ろから見ていた悟が席を立つ
篤の様子を気にしながら横を通る
ちらっと見交わす二人
小皿に取り出されたメンマ
悟は足を引きずりながらトイレに向かう

篤の脳裏に小雪が舞う漁港の光景が浮かぶ
篤に啓太が続き、悟が足を引きずって追いかける

俯いて首をふる篤
さっと席をたつ

篤の声「ごちそうさま」
(紙幣のすれる音)
「あっどうも!えーと20円のお返しですね」
(小銭の音)
「ありがとうございました」

悟の声「あっちゃん」
立ち止まる篤(足音が近づいてくる)
振り返る 
(間)
悟の声「あっちゃんだよね」
(間)
悟の声「悟だよ」(ふっと少し吹き出したような息がもれる)
悟の声「あっちゃん今でもメンマ嫌いなんだ」

篤の顔に曖昧な笑みが浮かぶ

映画は人を繋ぐもの。映画は光。

99分間。まぶたを閉じたまま作品に集中するという体験は初めてだったので、濃密で気づきの多い時間になった気がする。とにかく作品を不自由なく鑑賞できたという納得感を上回り、音声ガイドが的確に、まるで阿吽の二人羽織のように欲しい情報を口までピッタリ運んでくれるので、しっかり堪能できたという満足感があった。

「光」で主人公はディスクライバーとして、作成したナレーションを実際に視覚障害者の方にチェックしてもらい意見を聞く「モニター検討会」を重ね、何度も修正を繰り返していた。監督にもインタビューをしてその意図するところと齟齬がないように精査していく徹底ぶりも印象的だった。

なので、そのような過程を経て作成される音声ガイドによって、普通に目で見ているつもりでも、つい見落としている大事なポイントに気づかされたり、明確に読み取れることができたりするので、作品理解が深まることにも繫がるように思われる。

エキュメニカル賞の授賞式で河瀨直美監督は「映画というものは何なんだろうと考えて作りました。映画がもたらすものはたくさんありますが、人を繋ぐものだと思っています。人は人種も国境も越えていくものだと思います。映画館の暗闇の中で、映画という光と出会うとき、人々は一つになれるのだと思います」とコメントしている。

そのためには、たとえば人間の内面を豊かに描くことはもちろんの事、障害を乗り越えて分かち合おうとする取り組みがなければ成立しないはずだ。そういう観点から見るなら日本において「音声ガイド」が少しずつ普及していることの意義は大きいと思う。

なぜなら社会の豊かさを考える上で「繋がりを感じられている事、分かち合おうとしている事」が非常に重要なポイントの一つだと感じるからだ。それが実感でき真摯に取り組めていること。困難で手間がかかることかもしれないが、それこそが豊かさの本質ではないだろうか。

夕方、TSUTAYA にDVDを返却しに行きながら、映画のディスクライバーみたいに街を描写してみる。お店に着く前にDVDをもう一度確認しタイトルを心のなかで読み上げる。ふと、仮面ライダーだってそのうち音声ガイド付きの作品が出てくるんじゃないかなと思えるし、それが物珍しくもなくなる頃には、描写して理解して伝えようとする事の重要さ、言い換えれば人の心に光を届ける事が上手な人が増えてくるのではないだろうかと、そんな事を思った。

この冬の夕焼けの色に染まる街、行き交う人、取り残されていくような少しの不安が混じるこの空気感ですら、誰かにうまく伝えられて、分かち合えることがきっと豊かなことなのだ。

参考サイト:NPO法人 シネマ・アクセス・パートナーズ
この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>> 最新記事を毎日お届け
とにかく99分間まぶたを閉じて、音声ガイドで映画「追憶」を鑑賞して気づいた事

この記事が気に入ったら

関連記事