愛されるのにふさわしい自分
私には、尊敬する人がいます。
元職場の先輩で、私の価値観を変えてくれた人です。
その人は、いつも愛に溢れていて、そして、とても丁寧な人。 結婚したご主人と、まだお付き合いしていた時のこと。持ち帰りの多い仕事ではあったものの、彼と会う日は彼だけに1日を注いでいました。 理由は、「彼も、せっかくのお休みを私にくれているのだから、そこで私が仕事を持ち込んだり、早く切り上げようとしたりして気を遣わせるのは、失礼だと思うから」というものでした。
かと言って、仕事もおろそかにはしません。彼との約束がある週は、他の人がする以上に仕事を前倒しにして、コツコツ頑張るのです。 与えられた環境に文句や不満を持たずにやりこなすという、穏やかな性格の中に芯のある、誰もが認める人でした。
そんな先輩のご主人は、付き合っていた当初、聞けば聞くほど“厳しい人”という印象でした。結婚前、彼の話になると、「私、よく叱られるんだよね」という内容をよく耳にしました。
「こう考えたり、こう行動するのは、人としてどうなのかと思う」「こういうところにこそ気を遣うべきだと思う」と、デート中に言われた内容を聞いていると、確かに正論ですが、当時の私は、彼女に対して厳しいように感じていました。
時を経て、お互いに子どもを育てるようになり、お互いの家族の話をするようになりました。彼女のご主人は相変わらず正論をぶつけてくるそうですが、私は不思議と、付き合っていた時のような厳しさを感じなくなりました。
厳しい言葉の中に、彼女に対する優しさや、子どもに対する熱心さが垣間みえるからです。
「母親の心の健康は、子どもの心身の栄養に繋がる。だから、いつも穏やかでいるように努力すること」 「無駄なものは買わない。購入はよく考えて、家事が効率良くなるものならば、迷わず買ったらいい」 「駐車場を近くで一つ借りて、今の一軒家の駐車スペースを、期間限定で安全に区切って子どもの遊び場にしてあげようか……子どもが幼い頃こそ、すぐ過ぎてしまうのだから」など。
彼の考え方や発言は、厳しいこともあるけれど、決して自分中心のものではなくて、必ず、誰かを思いやるものなのです。 そんな旦那様に巡り会えた先輩は、本当に幸せだなぁ、うらやましいなぁと、私はずっと思っていました。
しかし、最近、ふと思うのです。
「そんな素敵な旦那様を見つけて、大切にしてもらえる先輩をうらやんでいたけれど、じゃあ私は、その先輩と同じような、日常を送れるだろうか……? 人に、分け隔てなく愛情を注げる人間であるだろうか?」
先輩は、そんな素敵な旦那様に、出会うべくして出会い、愛されているのだと思うと、人を羨む前にまず自分が、夫に大切にしてもらえるだけのことを日頃から行わなければならないと感じました。
人のことをうらやましく思っても、何も変わりません。
先輩だからできるんだと自分を諦めるよりも、
先輩みたいになろうと努力してみる方が、よっぽど清々しく、凛としてステキです。
そんな心の使い方をしながら、家族とも、周囲の人とも、気持ちよく繋がっていきたいものです。