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墨守
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墨守

諸子百家の1つに墨家というユニークな学派があります。

その主張は、儒家に対抗する色が強く、例えば上下の秩序にうるさい儒家に対し、すべての人を分け隔てなく愛せと「兼愛」を主張。儒家が葬礼を重視すれば、富は死者よりも生きている者のために使うべきだと「節葬」を訴える。

ただその中でも、群を抜いて異色なのは「非攻」という主張だと思います。強国による侵略戦争は悪であるという信念に則り、攻められそうな小国からオファーがあれば、その城に入って徹底して守城をしたそうで。他の思想集団と比べると常軌を逸した実践を行ったことが伺える墨家。

平和主義を掲げながらも、守城術を磨き、軍事のプロフェッショナル集団として、戦火を渡り歩き、城壁に命を投じ続けるわけです。

守城に失敗した際には、集団自決をして面子をたもったという記録もあるほどで、日本にも「墨守する」という言葉がありますが、それはつまり墨家の人たちが、城を徹底して守り抜くように、自らの考えを頑なに守って変えないことを意味します。

蟻の穴から堤もくずれる

結束が強く、高度に組織化されていた彼らは、一時は儒家と双璧をなす勢力を誇ったようですが、その後、どういう訳か中国史から忽然と消滅してしまいます。それも根っこから引き抜かれてしまったかのように、その痕跡にすら誰も気づかなくなるくらいに。

例えば創始者の墨子には、こんな逸話があります。宋の城を楚の攻撃から九度にわたって守り抜き、ある時は楚の王の説得に自ら赴き、城を守りきれる根拠を論じて、攻め込むのを諦めさせることに成功。その後、宋に戻り城門の軒先で雨宿りをしていた墨子は、乞食と勘違いされ、城兵に追い払われてしまったそうで。身を危険にさらして守った相手から英雄ではなく乞食として軽んじられてしまう。

そんな話が墨家の無欲で純粋なカラーをよく表していますが、同時にどこか地に足の着いていない印象を受けてしまいます。そして結局のところ彼らが自らの城を守る事ができずに絶学の道を辿っていくことは、非常に示唆に富んでいることだと思うのです。

滅びた原因とは?

実際に城をもっていたわけではないでしょうから武力で制圧された可能性もありますし、二派、三派に分かれてお互いに正統性を争ったという記録があるので内部から崩れたのかもしれません。

また「統一されていく中国」という時代の大きな流れと逆行していたことや、戦場での人間心理を把握することには長けていながらも、人間の本質についての理解がやや甘かったのではないかということも、さらに言えば、あまりに先進的な博愛平等の精神「兼愛」を掲げた彼らの情熱が、過度に外向きだったことが裏目に出て、その崩壊を助長した可能性もあったのではないでしょうか。

そう考えると、素晴らしい理想の裏にこそ、厄介な宿痾が気づかないうちに根を張ることは往々にしてあり、理想のもとに形成された集団にとっては、最も注意しなければいけないポイントのような気がします。策士が策に溺れるように、理想家たちは理想に溺れがちなものなのかもしれません。

この記事を書いた人 関口オーギョウチ 埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。 関口オーギョウチの記事をもっと読む>>